中国、清(しん)朝中期の学者。字(あざな)は懐祖(かいそ)、号は石臞(せっく)、江蘇(こうそ)省高郵(こうゆう)州の人。吏部尚書であった父の安国(あんこく)(1694―1757)が京邸に戴震(たいしん)を招いて13歳の念孫に学を受けさせたことで、生涯の学問の根底が築かれた。1775年(乾隆40)の進士。陝西(せんせい)省などの監察御史を歴任したほかは、工部や都察院(とさついん)の官につき、1786年、再度の永定河(えいていが)道の任にいて永定河の氾濫(はんらん)で引責退官ののちも、高官となった子の引之(いんし)の京邸で著述に専念し、道光(どうこう)12年正月24日、89歳で卒(しゅっ)した。『広雅疏証(こうがそしょう)』8巻はその古韻(こいん)二一部説によって上古音の同音仮借の現象を解明し、段玉裁(だんぎょくさい)を感嘆せしめた。『読書雑志』82巻(1831)は、『逸周書(いつしゅうじょ)』『戦国策』以下『文選(もんぜん)』に至るまで、難読箇所の一つ一つにつきその意を解明したもので、おびただしい資料を集積して動かすべからざる帰結を導いている。清朝考証学のもっとも高い水準を示す著述である。経部の書については、子の引之(いんし)による『経義述聞(けいぎじゅつぶん)』がある。
[近藤光男 2016年3月18日]
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中国,清の経学者。字は懐祖,石臞(せきく)と号した。江蘇高郵の人。王引之の父。乾隆40年(1775)の進士で,永定河道の職にあって治水に尽力したが失敗し,官を退いた。言語の音声面を重視し,古書には音声の近似にもとづく仮借(かしや)つまり当て字が多く,それを見きわめることで文意が正しく読み取れることを強調した。《読書雑志》82巻はその理論の実践編である。《広雅疏証》32巻は広く読まれ,また《古韻譜》1巻など古音学の業績もある。
執筆者:尾崎 雄二郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…皖とは中国安徽省の古名で,清代に,この地に多くの学者を輩出したので,その人々を皖派と称しているが,大きくは浙西学派に含まれる。江永,戴震に源を発して段玉裁,任大椿,王念孫,王引之,さらに後の兪樾(ゆえつ),孫詒譲(そんいじよう)らに受けつがれた。この学派は懐疑的態度によって事実を確かめ,帰納的論理的に分析する方法を共通点としていることで,恵棟らの漢代訓詁を固守する呉派とは大いに異なる。…
※「王念孫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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