日本大百科全書(ニッポニカ) 「琉球藩」の意味・わかりやすい解説
琉球藩
りゅうきゅうはん
1872年(明治5)に琉球処分(1879)の布石として明治政府が設置した藩。明治政府は発足当初から、琉球の帰属を明確にするための方策を模索していた。1871年琉球の宮古(みやこ)島民が台湾に漂着して殺害されるという事件が発生、これを機に、琉球の住民が日本国民であり、琉球が日本の版図である点を明示するため、翌1872年9月14日付けの勅令で琉球王国を改めて琉球藩とした。また、国王尚泰(しょうたい)を「藩王」とし華族(侯爵)に列した。
明治政府が前年に廃藩置県を実施したにもかかわらず、あえて琉球藩を設置したのは、将来の琉球処分(沖縄の廃藩置県)に向けての手順を踏むための布石であった。また、国王を「藩王」としたのは中国(清(しん)国)に対する外交的配慮からであった。琉球側はこの措置に対して警戒の色を強めたが、当初は政府の意図を十分に認識してはいなかったようである。1875年、松田道之(みちゆき)が琉球処分官となり琉球統合の作業が本格化すると、琉球側も事態の深刻さを悟って執拗(しつよう)な反対運動を展開した。一方中国側も琉球に対する宗主権を盾に明治政府を牽制(けんせい)するなど事態は紛糾した。1879年3月11日付けで松田は琉球藩を廃し沖縄県を設置する旨を布達し、軍隊・警察を率いて王宮首里(しゅり)城の明け渡しを実現した。こうして約6年半にわたって存在した琉球藩は消滅し、沖縄県が誕生した。なお琉球藩と名称は変わったものの、内実は従来の王国体制に変わりなく、琉球藩の消滅をもって初めて琉球王国も消滅した。
[高良倉吉]