日本歴史地名大系 「甘露寺」の解説 甘露寺かんろじ 静岡県:浜松市旧長上郡・豊田郡地区万斛村甘露寺[現在地名]浜松市中郡町法雨山と号し、臨済宗方広寺派。本尊は釈迦如来。寺伝によれば、弘仁一三年(八二二)に真言宗寺院として創建され、その後平重盛によって七堂伽藍が造営されたという。明徳元年(一三九〇)に仲翁が臨済宗に改宗し、奥山方広(おくやまほうこう)寺(現引佐町)末となった。慶長六年(一六〇一)に徳川家康から塔頭の多宝(たほう)庵に寺領四石五斗が与えられ、同八年には甘露寺に万斛(まんごく)村のうち二〇石八斗が先規に従って与えられた(「徳川家康朱印状」甘露寺文書)。 甘露寺かんろじ 京都府:亀岡市南掛村甘露寺[現在地名]亀岡市東別院町南掛南掛(なんげ)の北側、山の中腹にある。山号供御山、曹洞宗、本尊十一面観音。近世に書かれた寺記によれば、光厳天皇が即位の前に一時ここに留まり、供御山甘露寺の号をもらったという。天正一〇年(一五八二)豊臣秀吉が山崎(やまざき)(現乙訓郡大山崎町)に明智光秀と戦った時、高山右近は秀吉方についた功により「摂之五箇、丹之別(院カ)囲」を采地として与えられたが、当地方もその内に含まれ、その後右近が吉利支丹となり社寺を破棄し、当寺も廃れた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by