生名村
いきなむら
[現在地名]生名村
生名島の初見は、保元三年(一一五八)一二月三日の官宣旨(石清水文書)である。その中に、石清水八幡宮領の伊予国分として「石城島 生名島 佐島 味酒郷」が記されている。おそらく隣島東寺領弓削島庄同様に塩の獲得を目的として立荘された塩荘園であろう。なお、広島県廿日市町の極楽寺文書の中に、前後闕、年月日未詳、おそらく室町・戦国期のものとみられる伊予国岩城島小泉一方分等天役浜数注文があり、生名島については、後闕のため内容はまったくわからないが「生名島天役はま数の事」という事書がある。岩城島の場合「宮にしの前 名田弘延名内 はま 五ツ」などが記され、塩浜が名に結ばれ、名経営の一環として製塩が行われていたと思われるが、生名島の場合も同じ形態であったと推測される。なお、天正一一年(一五八三)一二月、俊成左京進は、村上武吉から生那島(生名島)五〇〇文を知行地として宛行われている。戦国末期生名島は能島村上氏の支配するところであった(俊成文書)。
慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)の越智郡の項に「生名村 日損所、柴山有」とみえ、村高は六四石八升六合の小村である。
生名村
いきなむら
面積:三・三七平方キロ
愛媛県の東北端、芸予諸島のほぼ中央に位置し、境を広島県に接する。北は広島県因島、東は因島および弓削島、南は佐島、西は岩城島に面する。生名島・能小島・坪木島など大小九個の島からなっているが、人家のあるのは本島の生名島だけである。地勢はおおむね急峻で平地少なく、中央部南北に標高一四二・八メートルの稲浦山、一三八・八メートルの立石山で連なる分水嶺がある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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