20世紀日本人名事典 「生江孝之」の解説
生江 孝之
ナマエ タカユキ
- 生年
- 慶応3年11月2日(1867年)
- 没年
- 昭和32(1957)年7月31日
- 出生地
- 陸前国仙台(現・宮城県仙台市)
- 学歴〔年〕
- 青山学院神学部〔明治32年〕
- 主な受賞名〔年〕
- 勲四等瑞宝章〔昭和32年〕
- 経歴
- 仙台藩士の子として生まれる。宮城中学在学中に洗礼を受け、明治19年伝道師を志して上京、東京英和学校(現・青山学院大学)に学ぶ。北海道で伝道に従事した後、再上京、青山学院神学部に入学。33年渡米、ニューヨークの社会事業学校、さらにボストン大学で社会学、神学を修めた。36年帰国、日露戦争後の軍人遺家族救護に当たり、内務省、大阪市、宮城県各嘱託、東京府社会事業協会理事、東京日日新聞社会事業団顧問などを務めた。44年医療事業のための済生会創設に関わり、のち社会部理事長。大正7年日本女子大学教授となり社会事業講座を担当、日本大学、立正大学などで講義を行う。欧米を始め世界各地の社会事業施設の調査に出張し、児童保護、監獄改良に尽力、社会事業の父といわれた。著書に自伝「わが九十年の生涯」のほか、「社会事業綱要」「細民と救済」「児童と社会」「日本基督教社会事業史」など。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報