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生産性向上運動 せいさんせいこうじょううんどう productivity drive

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

生産性向上運動
せいさんせいこうじょううんどう
productivity drive

企業における生産性の向上をはかることにより,国民所得をふやし,労働者に対する分配もこれに従って増加させ,生活水準を向上させようという運動。第2次世界大戦後,マーシャル・プラン受入れ機構として設立されたヨーロッパ経済協力機構 OEECアメリカ政府の提唱によって,経済復興の一助として推進したのに始る。

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百科事典マイペディアの解説

生産性向上運動【せいさんせいこうじょううんどう】

第2次大戦後,戦争で多くの生産設備や労働力,国民財産を失った英・独・仏などヨーロッパ諸国の経済復興を促進するため,企業の生産性を高めることを目標として展開された運動。
→関連項目産業合理化

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世界大百科事典 第2版の解説

せいさんせいこうじょううんどう【生産性向上運動 productivity drive】

第2次大戦後,資本主義諸国の国際的運動として展開された合理化運動。生産性運動とも呼ばれる。両大戦間にはドイツ産業合理化運動やアメリカの無駄排除運動などが各国別に実施されたのに対し,生産性向上運動はアメリカによる対外援助政策の一環として開始された点に特徴がある。援助政策の目的は,被援助国の経済復興と経済発展を通じて国民の生活水準を上昇させ,それによって社会主義化を食い止めることにあった。運動の端緒は,マーシャル・プランにもとづく1948年経済協力法によって与えられた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

生産性向上運動
せいさんせいこうじょううんどう
productivity movement

経済・産業・企業の生産性の向上を目ざす運動。略して生産性運動ともいう。第二次世界大戦後、直接的にはヨーロッパの復興を目ざすアメリカの長期経済援助計画(マーシャル・プラン)と経済協力法の制定を契機として、間接的には失業防止、雇用増大、労使協調、生産性向上成果の公正な分配という思想の普及を契機として、世界的に展開された。それはまず、アメリカの援助を受け入れるヨーロッパ経済協力機構(OEEC)のなかで始められ、1950年にはこの運動を推進するためにパリにヨーロッパ生産性センターが組織された。また、それとともにILO国際労働機関)やICFTU国際自由労連)などの国際組織も、生産性運動を展開するようになった。とくにILOは、開発途上国の生産性向上について熱心な取り組みを行った。しかし、世界的にみて、生産性運動にもっとも熱心でしかも成果をあげたのは日本であった。
 日本では、アメリカの支援表明を受けて経済団体連合会、日本経営者団体連盟、日本商工会議所など当時の経済団体が日本生産性増強委員会を設立し(1954)、政府の閣議決定を基礎にして日本生産性本部が設立された(1955)。同本部はただちに生産性運動の三原則を発表した。それは、(1)生産性の向上は究極において雇用を増大する。過渡的な過剰人員については配置転換などで、可能な限り失業を防止する。(2)生産性向上のための具体的な方式は、労使協力して研究、協議する。(3)生産性向上の諸成果は、経営者、労働者、消費者に公正に分配される、というものであった。このような雇用増大・失業防止、労使協力、公正分配を柱とする生産性運動の流れは、その後一貫して今日に至っている。生産性運動の当初は、主としてアメリカの経営方式を導入する形で展開され、高度経済成長政策と相まって日本経済の躍進に大きく寄与することとなった。その実績は他国の注目するところとなり、当初の受け身の生産性運動は、やがて国際的に生産性運動をリードする立場に日本を押し出していった。1959年にはアジア生産性国際会議が開催され、1961年には8か国が加盟してアジア生産性機構(APO)が設立された(2010年時点では20か国・地域が加盟)。日本の生産性運動の特色は、第一に、労使関係を最重視することにある。当初、日本労働組合総評議会(総評)は反対していたが、民間企業の労働組合は初めからこの運動に参加し、企業内の生産性向上と成果分配に重要な役割を演じている。第二に、製造産業の生産性向上は顕著であるが、農業など第一次産業とサービス業など第三次産業の生産性は、世界的にみてむしろ低水準にあり、これらの向上が課題となっていることである。[森本三男]
『塩沢由典監修、関西生産性本部編『生産性運動の昨日・今日・明日』(2001・生産性出版) ▽チャールズ・ウェザーズ、海老塚明編『日本生産性運動の原点と展開』(2004・社会経済生産性本部生産性労働情報センター) ▽社会経済生産性本部編『新版・労使関係白書――21世紀の生産性運動と労使関係課題』(2006・社会経済生産性本部生産性労働情報センター)』

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世界大百科事典内の生産性向上運動の言及

【合理化】より

…日本でも昭和恐慌からの脱出策の一環として1930年以降,独占の強化を主軸においた産業合理化が推進された(日本の産業合理化については〈産業合理化運動〉の項参照)。 第2次大戦後には,冷たい戦争の激化するなかで,ヨーロッパ諸国の経済復興を速め自由主義陣営の強化をはかるために,1948年以降,アメリカのマーシャル・プランの実施とともに,国際的運動の一環としてイギリス,西ドイツ,フランスなどで生産性向上運動が組織されていった。やや遅れて日本でも,55年アメリカ対外活動本部の働きかけを契機として,経営者団体の主導のもとに政府の援助も得て日本生産性本部が設立され,生産性向上運動が始められた。…

【マル生反対闘争】より

…1969年から71年にかけて,日本国有鉄道(国鉄,現JR)当局が推進した生産性向上運動をめぐる労使紛争をいう。マル生は,国鉄当局がその指示文書にと印したことに由来する。…

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