産業労働調査所(読み)さんぎょうろうどうちょうさじょ

大辞林 第三版の解説

さんぎょうろうどうちょうさじょ【産業労働調査所】

無産階級運動を支援することを目的に、1924年(大正13)野坂参三の提案で設立された調査・研究機関。官憲の弾圧で1933年(昭和8)閉鎖。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

産業労働調査所
さんぎょうろうどうちょうさじょ

1924年(大正13)3月に、政治・経済・社会などの諸問題を科学的に調査・研究し、労働運動に指針を与えることを目的として設立された調査機関。野坂参三を主任とし、第二次世界大戦前、マルクス主義の立場にたつ唯一の調査機関として活動したが、相次ぐ弾圧で33年(昭和8)7月に閉鎖された。その前身は総同盟(日本労働総同盟)および日本鉱夫総連合会の各調査部で、安部磯雄(あべいそお)、鈴木文治(ぶんじ)をはじめ学者、労働組合幹部の提唱の形をとり、両者を合併して独立の機関として設立された。
 同所では高橋亀吉(かめきち)、猪俣津南雄(いのまたつなお)、野呂(のろ)栄太郎、岩田義道(よしみち)、志賀義雄(よしお)、のちに風早八十二(かざはややそじ)ら多くの学者、評論家、社会主義活動家が参加あるいは協力し、その調査・研究の成果は高く評価された。同所の調査・研究内容は、雑誌『産業労働時報』(1925創刊)、また世界社会運動の記事や論文を収録した雑誌『インターナショナル』(1927創刊)に掲載され、また独立の単行本、パンフレットとして『ヨロケ』(1925)、『無産者政治必携』(1927)をはじめ多くが出版された。しかし、1928年の三・一五事件で野坂が検挙されたのをはじめ、所員の検挙や出版物の発売禁止処分が続き、32年12月、翌33年5月とほとんどの所員が検挙されたため活動が不能になり、7月には閉鎖のやむなきに至った。[松尾 洋]
『野坂参三著『風雪のあゆみ5』(1981・新日本出版社) ▽風早八十二著『治安維持法五十年』(1976・合同出版)』

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世界大百科事典内の産業労働調査所の言及

【インタナショナル】より

…1927年2月から33年7月まで産業労働調査所の編集によって刊行された〈国際社会政治経済情報〉誌。月刊。…

※「産業労働調査所」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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