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安部磯雄 あべいそお

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

安部磯雄
あべいそお

[生]元治2(1865).2.4. 福岡
[没]1949.2.10. 東京
社会主義運動の先駆者。 1891年よりアメリカおよびドイツに留学してキリスト教社会主義者となり,95年帰朝後,早稲田大学教授をつとめつつ,社会主義運動にたずさわった。 1900年社会主義協会の会長,翌 01年片山潜らとともに社会民主党を創設。

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デジタル大辞泉の解説

あべ‐いそお〔‐いそを〕【安部磯雄】

[1865~1949]政治家。早大教授。福岡の生まれ。キリスト教社会主義者として、明治34年(1901)片山潜幸徳秋水らと社会民主党を結成、即日禁止。日露戦争には一貫して非戦論を堅持。学生野球の普及にも尽力。著「社会問題概論」「土地国有論」など。

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百科事典マイペディアの解説

安部磯雄【あべいそお】

社会運動家。福岡藩士の家に生まれ,同志社卒後渡米,キリスト教社会主義者となる。1898年片山潜,幸徳秋水らと社会主義研究会を結成。1901年社会民主党創立に参加。
→関連項目片山哲幸徳秋水新紀元日本フェビアン協会平民社

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

安部磯雄 あべ-いそお

1865-1949 明治-昭和時代の社会運動家。
元治(げんじ)2年2月4日生まれ。アメリカ留学後キリスト教社会主義をとなえ,明治34年社会民主党,大正13年日本フェビアン協会を創立,のち社会民衆党,社会大衆党の委員長。昭和3年衆議院議員(当選4回)。この間早大教授となり,野球部を創設した。昭和24年2月10日死去。85歳。筑前(ちくぜん)(福岡県)出身。同志社英学校卒,ハートフォード神学校卒。旧姓は岡本。著作に「土地国有論」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

安部磯雄

没年:昭和24.2.10(1949)
生年:元治2.2.4(1865.3.1)
明治から昭和期の社会運動家。福岡藩士の家に生まれ,明治12(1879)年同志社に入学,新島襄から洗礼を受ける。アメリカ,ドイツに留学し,32年に東京専門学校(早稲田大学)教授となり大正15(1926)年まで在職した。キリスト教的人道主義から社会主義へという思想経路をたどったひとりで,明治31年片山潜,幸徳秋水らと社会主義研究会を組織,社会主義協会に改組後は会長となる。34年片山,幸徳ら6人で社会民主党を結成,宣言を執筆,発表したが即日結社禁止。日露戦後に実践運動から離れたが,大正末の無産政党結成過程では吉野作造らと右派無産政党組織の産婆役となり,大正15(1926)年社会民衆党の結成とともに委員長となる。昭和3(1928)年に衆院議員に当選。7年の社会大衆党結成で委員長。15年斎藤隆夫の反軍演説をめぐって,懲罰に反対し同党除名,のち議員を辞職。戦後すぐに日本社会党結成を呼び掛け,同党顧問となる。明治34年に早稲田大学野球部を創設するなど,戦前における日本野球の育ての親でもある。<著作>『社会問題解釈法』『社会主義者となるまで』<参考文献>片山哲『安部磯雄伝』

(有馬学)

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世界大百科事典 第2版の解説

あべいそお【安部磯雄】

1865‐1949(慶応1‐昭和24)
キリスト教社会主義者。社会運動の先駆者で社会主義の啓蒙家。福岡藩士の次男に生まれた。同志社時代に新島襄より洗礼を受け,アメリカのハートフォード神学校,ベルリン大学にも学んだ。1895年に帰国後同志社教授となり,99年より東京専門学校(現,早稲田大学)教授を務めた。かたわらユニテリアン教会に所属し,キリスト教的人道主義の立場から社会・労働運動に貢献した。労働組合期成会に関係したあと,1898年片山潜,幸徳秋水らと社会主義研究会を組織し,1900年社会主義協会に発展させると,その会長となり翌年の社会民主党の結成にも尽力した。

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大辞林 第三版の解説

あべいそお【安部磯雄】

1865~1949) 政治家。筑前の生まれ。同志社卒。同志社・早大教授。社会主義研究会・社会民衆党・社会大衆党などを結成。キリスト教社会主義の立場から無産政党右派の指導者として活躍。また、学生野球の普及に貢献。著「社会問題解釈法」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

安部磯雄
あべいそお
(1865―1949)

戦前のキリスト教社会主義者。政治家。元治(げんじ)2年2月4日福岡藩士岡本権之丞(ごんのじょう)の次男に生まれる。同志社に学び、新島襄(にいじまじょう)より受洗。卒業後岡山教会に赴任。しだいに社会問題に関心をもち、1891年(明治24)から1895年にかけてのアメリカ、イギリス、ドイツ留学では、聖書の歴史を学ぶかたわら社会問題を考究し、その解決を社会主義にみいだすに至った。帰国後、岡山教会牧師、同志社教授を経て、1899年東京専門学校(早稲田(わせだ)大学の前身)教授に就任。また同年より『六合(りくごう)雑誌』の主筆となり、キリスト教社会主義を論じ、さらに社会主義研究会(1900年社会主義協会と改称)や社会民主党などの結成に重要な役割を果たした。日露戦争では非戦論を展開。このほか都市問題について旺盛(おうせい)な言論活動を行った。1905年(明治38)木下尚江(なおえ)らとキリスト教社会主義の雑誌『新紀元』を創刊。1910年の大逆(たいぎゃく)事件後は第一線から退いたが、廃娼(はいしょう)運動、産児制限運動などに取り組み続けた。1924年(大正13)日本フェビアン協会を結成して社会主義運動を再開。1926年社会民衆党委員長に就任し、さらに早大教授を辞して1928年(昭和3)の第1回普通選挙に立候補、当選(以後4回当選)。1932年の同党分裂に際し、社会大衆党を結成して委員長に就任したが、1940年反軍演説事件の斎藤隆夫(たかお)議員除名問題で離党、勤労国民党を結成したものの当局に禁止され、政界を引退した。第二次世界大戦後は日本社会党顧問を務めた。昭和24年2月10日死去。早稲田大学野球部の創立者としても知られる。[阿部恒久]
『安部磯雄著『社会主義者となるまで』(1932・改造社) ▽片山哲著『安部磯雄伝』(1958・毎日新聞社) ▽平民社資料センター監修、山泉進編集・解題『平民社百年コレクション3 安部磯雄』(2003・論創社)』

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世界大百科事典内の安部磯雄の言及

【産児制限】より


[日本における産児制限運動]
 20世紀初頭に新マルサス主義が日本に紹介されたが産児制限運動にはつながらなかった。1918,19年ころ安部磯雄山本宣治その他の進歩的社会運動家が日本文化進展のため産児制限の必要を説き,また当時神戸の貧民街で救療に従事していた馬島僴(かん)(1893‐1969)は医療救済の観点からこの運動を始めた。アメリカ留学中にサンガーを知った石本(のちの加藤)シヅエも帰国,紹介した。…

【社会主義協会】より

…(1)1898年に〈社会主義の原理と之を日本に応用するの可否を考究する〉目的で設立された社会主義研究会を,1900年1月に社会主義を〈日本に応用すること〉を目的に改組した日本最初の社会主義者の組織。安部磯雄を会長に,片山潜,幸徳秋水らを擁して社会主義の研究と啓蒙にあたり,平民社と一体となって草創期の日本社会主義に大きな足跡を残したが,日露戦争中の04年11月に警察当局から解散を命じられた。(2)1951年1月,戦前の労農派の流れをくむ山川均,大内兵衛,向坂逸郎らの理論家に太田薫,岩井章,高野実らの労働運動指導者が加わって発足し,6月に雑誌《社会主義》を創刊。…

【社会大衆党】より

…このため孤立を恐れた両党は合同することによって危機をのりきろうとした。委員長安部磯雄(旧社民系),書記長麻生久(旧日労系)として結党し,機関紙《社会大衆新聞》を発行。社会民衆党の三反主義(反資本,反共,反ファシズム)を継承して,戦争に反対せず,反共主義の立場をとり,他方で露骨な国家社会主義とも一線を画した。…

【社会民衆党】より

…1923年末から労農団体や革新的知識人の間で合法無産政党結成の気運が盛り上がるが,日本労働総同盟(総同盟)などの右派は当局の弾圧を利用して日本労働組合評議会(評議会)など共産系を排除して,26年3月に労働農民党(労農党)を結成した。結党後,左派の門戸開放運動がすすみ地方を中心に左派が党内に進出してくると,総同盟や官業労働総同盟など右派勢力の代表は同党を脱退し,安部磯雄,吉野作造,堀江帰一の呼びかけに応じるというかたちで,同年12月5日に社会民衆党を結成した。その方針は,現実主義,反共主義,合法主義の社会民主主義路線を旗印に,総同盟,官業労働総同盟,全日本農民組合総同盟などを主要基盤とし,委員長に安部磯雄,書記長に片山哲(1930年から赤松克麿)が就任した。…

【社会民主党】より

…宣言書を掲載した《東京横浜毎日新聞》《労働世界》《万朝報》なども発禁となった。発起人は,安部磯雄,片山潜,河上清,木下尚江,幸徳秋水,西川光二郎の6人で,幸徳を除きすべてキリスト者である。結党の背景には,労働組合期成会(1897結成)を中心とした労働組合運動が1900年治安警察法制定により衰退,期成会中心メンバーの一人の片山らが政治運動によって局面を打開しようとしたことがある。…

【都市問題】より

…さらに《都市社会主義》(1903)では〈都市問題の解決方法なるが……都市をして小数強欲なる資本家等の銭儲け場所たらしめず,真に一般市民の家庭たらしむには,勢ひ市政に社会主義を応用せざるべからず〉として,ガス,水道,電灯,鉄道等を市民のための市有とするよう主張する。なお安部磯雄も《都市独占事業論》(1911)で類似の主張をしている。 しかし,こうした公園・住宅・上下水道等を市民の立場から改良する問題意識も,治安警察法(1900),新聞紙法(1909)から大逆事件(1910)に至る動きのなかで,片山自身〈資本主義の下に於て都市改良の容易に絶対に望まれぬことを自覚した今の予は別段に趣味を持たない〉(《自伝》1922)と述べるに至った。…

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