産業社会(読み)さんぎょうしゃかい(英語表記)industrial society

改訂新版 世界大百科事典 「産業社会」の意味・わかりやすい解説

産業社会 (さんぎょうしゃかい)
industrial society

一般的には,産業革命の後に生まれた社会を指す。ときに工業社会と等置されるが,脱工業社会post-industrial societyをも含めて産業社会と呼ぶ場合がある。資本主義,社会主義の区別を超えて,産業社会という用語が使われる。通例,長期の歴史変動に関して,前工業社会(牧畜・農耕社会)→工業社会→脱工業社会という段階論的な図式の用いられることが多い。

工業社会という場合,製造業,ブルーカラー労働者,大量生産技術など産業・職業構造と技術の特徴にそってその性格が特色づけられるが,さらに工業化に伴う社会構造上の変化という面でも,次のようないくつかの特徴が見いだせる。(1)人口転換(多産多死→多産少死→少産少死)の過程で人口爆発現象が生ずる。しかも移民の流出入がないものと考えると(すなわち,封鎖人口政策がとられている場合),すべての工業社会は着実にあるいは急速に高齢化社会に逢着することになる。(2)核家族化が進む。(3)都市化とアーバニズム(都市的ライフスタイル)の浸透がみられる。(4)大規模な組織が登場し,社会の官僚制化が進展する。(5)人材配分の業績主義的原理にそって社会移動(個人の社会的地位の移動)が活性化する。(6)科学技術の発達がみられ,世俗化が進行する。(7)〈福祉国家〉の成熟とあいまって,豊かなミドル・マス(中流大衆)の社会が出現する。(8)マス・メディア,マス・コミュニケーションの発達がみられる。(9)高学歴社会が登場する。(10)ブルーカラー労働者のミドルクラス化,あるいはブルジョア化が生じ,資本主義社会の場合,団体交渉制度に代表される産業民主主義の発展,社会移動の活性化(とりわけ,学歴取得とホワイトカラーの増加に伴う活発な上向移動),ブルーカラー労働者の賃金・生活水準の上昇,労使紛争にかかわる調停・仲裁機関(労働委員会制度や労働裁判所)の創設などに支えられて〈階級闘争の制度化〉が一般化する。

もっとも,こういった工業社会に関する多少とも楽観的で肯定的な見方は,ひとりマルクス主義によってばかりでなく,大衆社会論によっても批判にさらされてきた。とりわけ,エリートによる大衆の支配(オルテガ・イ・ガセットの場合には,逆に凡俗な大衆による〈超デモクラシー〉的な社会の支配),組織の機械化と人間のアトム化といった人間疎外のまんえん,マス・コミュニケーションによる文化の画一化と操作化,帰属すべき家郷の喪失現象などがつとに指摘された。

ところで,産業(工業)社会という言葉が登場したのは,産業革命後のことである。サン・シモンやスペンサーは,〈軍事的・封建的〉社会に対比させて〈産業的・科学的〉社会という用語を使った。サン・シモンの直弟子であるコントの〈実証主義〉の思想にも同じような考え方を見いだすことができる。これらの思想家の場合,産業的という表現は,科学的,平和的,実証的という言葉と同義語であって,それらは神学的=形而上学的,軍事的,封建的といった言葉と対置さるべきものであった。〈産業〉と〈科学〉は人間社会に〈平和〉と〈豊かさ〉をもたらすものとみなされ,したがってその振興と発展がフランス革命後の混とんとした〈ヨーロッパ社会を再組織化する〉ためのアルファであり,またオメガであると考えられた。こうした思想はそれらを一括して〈初期産業主義〉と呼ぶことができる。しかし現代の産業主義industrialismの考えは,第2次大戦後,1960年前後にアメリカを中心としてその骨格が浮彫りにされた。東西冷戦下で,発展途上国を共産主義化させることなく,いかに〈離陸〉させうるかがその研究に込められた鮮明な実践的ねらいであった。代表的な業績にはC.カーらの〈インダストリアリズム〉論,W.W.ロストーの〈経済成長の諸段階〉,ロスとハートマンの労働争議の国際比較研究などがあるが,影響力の大きさという点では,D.ベルの〈イデオロギーの終焉(しゆうえん)〉論,R.ダーレンドルフ社会階級論も見落とせない。その業績のほとんどが1960年に出版されているから,現代の(後期)産業主義を〈1960年パラダイム〉と呼ぶこともできよう。カーらが〈工業化エリートの自然史〉(植民地行政官,世襲的エリート,民族主義的指導者,革命的知識人はそれぞれに工業化のための下地を用意しうるが,最終的には淘汰され,中産階級の工業化エリートが残るという考え)を踏まえて展望した〈多元的インダストリアリズム〉は,まさに中産階級の社会であった。イデオロギーは終焉しても,国家は消滅しない。企業経営者がその社会の〈前衛〉になるとみなした。またロストーは,その〈諸段階〉の扉に副題として〈ひとつの非共産党宣言〉という文字を刻み込んだ。ベルは,慎重にもユートピアは終焉せず,第三世界から新たなイデオロギーの出現しうることを展望したが,しかし古典的マルクス主義に破産宣告を行った。そしてダーレンドルフは,その闘争理論の提示と実証研究を通じて,〈後期資本主義〉社会における〈階級闘争の制度化〉を論じた。このように,〈後期〉産業主義の最も基本的な主張は,20世紀の先進資本主義国の歴史的経験に基づいて古典的マルクス主義を批判し,新たな社会のあり方を展望するところにあったということができる。より具体的にいえば,東西図式(資本主義・社会主義の図式)から南北図式への転換,二つの収斂(しゆうれん)仮説の提出(アメリカとソビエトの社会構造の類似化,西側工業国における労働者階級のミドルクラス化),大企業と中小企業の二重構造の解体,進化論的パースペクティブ(今日の先進国は,明日の中進国),不滅の国家と〈福祉国家〉の成熟,〈階級闘争の制度化〉とミドル・マス社会の出現,〈前衛〉としての企業経営者などの見方が打ち出された。

現在の産業社会は,しかし必ずしも工業社会という用語になじまない性格を示しはじめた。それとともに,〈後期〉産業主義とはその内容を異にする新しい社会理論が登場するようになった。脱工業社会,知識社会,高度情報社会,サービス社会,第三の波の社会などといった新しい用語が使われだした。ローマ・クラブの《成長の限界》,E.F.シューマッハーの〈スモール・イズ・ビューティフル〉なども無視することができない。それらを通じて描き出された現代産業社会の性格変化は,財貨生産経済からサービス経済への移行,専門職・技術的職業従事者の増大とブルーカラー労働者の相対的減少,新しい〈知的技術〉の発達といった要素によって特徴づけられるばかりでなく,テクノロジー・アセスメントに代表されるような技術管理,制御された市場経済と企業行動,生態系の保護,直接参加型民主主義と分権化,省エネルギー・省資源,生活の質的向上,組織の小規模化,人種・性・年齢・障害など〈生得的〉属性に基づく差別の禁止と〈結果の平等主義〉といった要素をも盛りこんだものとなっている。さらに,豊かな先進工業国にみられる飽食,〈内的〉プロレタリアートのブルジョア化,高齢化社会といった性格とはまことに対照的である第三世界の現実(飽食に対する飢餓,〈外的〉プロレタリアートの簇生,驚異的な人口爆発と若年社会)に対しても,注意深い関心が払われつつある。言い換えればグローバルな視野の広がり,生態系への内在的関心,工業技術文明への懐疑と制御,南北格差の拡大,〈生得的〉属性の重み,質の向上といった項目によって示唆されるように,現代の産業社会の性格は単にその経済構造や職業構成,技術の性格においてこれまでの工業社会とはその様相を異にするばかりでなく,文化や価値観においてもその形成原理を変質させつつあるとみることができる。こうした変化は,70年代を通じていよいよ鮮明なものとなった。ヨーロッパ諸国(とりわけ,北欧,ベネルクス諸国,オーストリアやイタリア)におけるその政治経済上の変化を表す用語として,ネオ・コーポラティズムneo corporatism(政労使の協調的協議体制)という術語が登場したのも,70年代のことである。経済社会に関する〈二重構造dualism〉(むしろ多層的産業経済・労働市場構造)の拡大という指摘も相ついだ。このネオ・コーポラティズムと〈二重構造〉の拡大という見方は,前記のカーらの〈後期〉産業主義のシナリオとは単に異質であるばかりか,対抗的といえる内容をもっている。

戦後の日本の産業社会を理解するためには,まず何よりも,太平洋戦争というきわめて大きな犠牲を払って達成されたものであるが,そしてその苗床は,戦前の日本社会で部分的にであれ培われたものであったが,20世紀の代表的な〈社会革命〉と呼ぶにふさわしい大規模な制度改革が日本国憲法の制定とともに行われたという点に注目しなければならない。その改革は社会のすべての分野に及んだといってさしつかえない。しばしば見落とされているが,驚くべき人口転換が生じたのもこの太平洋戦争をはさむ1940年から55年という,きわめて短期間のうちにおいてであった。ところで,さきの〈後期〉産業主義の観点からみた場合,戦後の日本社会は,とりわけ1960年代に入ってからは〈階級闘争の制度化〉が進み,ミドル・マスの豊かな社会を実現する方向で変化した。公害問題や都市問題,住民運動を生み落としながら工業化と都市化現象が進行し,大学進学率も60年代以降急速な高まりをみせた。管理社会という言葉が現実味を帯びるほどに,マス・コミュニケーションの著しい発展がみられた。60年代後半以降,経済の国際化が急テンポで進み,企業経営の領域では〈日本的経営〉がその性格を整えていった。〈二重構造〉はその性格を弱め,遅ればせながら70年代になると〈福祉国家〉の成熟現象もみられた。しかし,いまや全世界のGNPの1割を占めるまでに成長した日本の産業社会に課された課題は重くかつ厳しい。戦後の工業化政策の所産にほかならない急激な高齢化社会の到来にいかに対応するか,すでに素描しておいた脱工業社会に胚芽する文化や価値観に,その経済,技術,政治,社会構造をどのように適合させるか,さらに南北問題の深化に対してどう対処するか,いずれの問いも避けてとおることのできない日本の産業社会の今後の課題である。
近代化 →近代社会
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の産業社会の言及

【革命】より

…概していえば,主として内発的に諸革命を遂行して近代化してきた先進国の場合と,第三世界にみられるように,外圧の下で急速に近代化を達成しようとしている発展途上国の場合とでは,諸革命の相互の関係は異なっている。欧米先進国の近代化においては,前近代の都市生活の中で育成された市民意識と産業は,プロテスタンティズムの宗教革命を通じて強化され,合理的な経済倫理と結びつき,ついで政治革命をへて,資本主義的な産業化への離陸(テイク・オフ)の準備をし,やがて産業革命と労使関係の制度化を押しすすめて,市民的な産業社会をつくりあげた。それに対し,第2次世界大戦後の発展途上国の近代化においては,軍隊エリートと都市知識人を指導層とする政治革命が先行して,外圧の下での危機に対処しながら,自国の伝統的文化のある部分を強調し復興させる宗教運動(復興運動,リバイバリズム)などによってナショナリズムを強化し,社会を団結させ,政治主導型の産業化をすすめて,急速な近代化を達成しようとしている。…

※「産業社会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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