新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「田中光顕」の解説
田中 光顕
タナカ ミツアキ
- 肩書
- 宮内相,学習院院長,警視総監
- 旧名・旧姓
- 旧姓=浜田
- 別名
- 幼名=顕助 号=青山 前名=浜田 辰弥(ハマダ タツヤ)
- 生年月日
- 天保14年9月25日(1843年)
- 出生地
- 土佐国高岡郡佐川(高知県佐川町)
- 経歴
- 高知藩士。武市瑞山(半平太)に師事。明治維新に際して土佐勤王党に属して維新の王事に奔走し、明治元年兵庫県権判事となる。ついで大蔵権少丞、戸籍頭などを経て、4年岩倉遣外使節団員として欧米に派遣される。帰国後、7年陸軍省に入り、会計検査官となり、西南戦争では征討軍会計部長として活躍。同役後、会計局長などを経て、14年少将となり、21年予備役に編入される。この間、元老院議官、会計検査院長などを兼任。22年警視総監に転じ、25年子爵を授けられ、同年学習院院長、31年宮内大臣に就任。40年伯爵に昇ったが、同年本願寺武庫別荘買上げをめぐる収賄事件によって42年宮内大臣を辞任、政官界から引退した。大正7年臨時帝室編修局総裁。著書に「維新風雲回顧録」「歴代御製集」「維新夜話」。
- 没年月日
- 昭和14年3月28日
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報