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明治時代の政治家。天保(てんぽう)14年閏(うるう)9月25日、土佐藩下級武士の子に生まれる。武市瑞山(たけちずいざん)に師事し勤王同盟に加わり、1863年(文久3)京都に出、志士と交わる。1864年(元治1)脱藩し長州に入り、高杉晋作(たかすぎしんさく)の知遇を得、長州征伐では丙寅丸(へいいんまる)に乗り幕軍と戦った。1867年(慶応3)中岡慎太郎(なかおかしんたろう)が組織した陸援隊の幹部となる。1868年(明治1)以降、兵庫県権判事(ごんはんじ)、大蔵少丞(しょうじょう)などを経、1871年岩倉使節団の随員として欧米に派遣され、西南戦争には征討軍会計部長として功労があった。1881年陸軍少将。さらに元老院議官、警視総監、宮中顧問官などを歴任、学習院長、宮内次官を経て1898年より11年間宮内大臣を勤め宮中に勢力をもった。また維新の志士の顕彰に余生を捧(ささ)げ、多摩聖蹟記念館、常陽(じょうよう)明治記念館(現、大洗町幕末と明治の博物館)、高知青山文庫の建設や維持にあたった。伯爵。昭和14年3月6日没。
[佐々木克]
『田中光顕著『維新風雲回顧録』(河出文庫)』
《「ノブレスオブリージュ」とも》身分の高い者はそれに応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務があるという、欧米社会における基本的な道徳観。もとはフランスのことわざで「貴族たるもの、身分にふさわしい振る舞...
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