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田中光顕 たなか みつあき

百科事典マイペディアの解説

田中光顕【たなかみつあき】

明治の政治家。土佐(とさ)高知藩陪臣の子。幕末,武市瑞山の土佐勤王党に属し尊攘運動に参加,1867年には上京して中岡慎太郎陸援隊に加入。維新後,岩倉使節団に随行して渡欧,のち元老院議官・警視総監・学習院長などを歴任

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

田中光顕 たなか-みつあき

1843-1939 幕末-明治時代の武士,政治家。
天保(てんぽう)14年閏(うるう)9月25日生まれ。土佐高知藩士。武市瑞山(たけち-ずいざん)に師事し,土佐勤王党にくわわる。維新後は警視総監,宮中顧問官,学習院長などを歴任。明治31年以来11年間宮内相をつとめた。昭和14年3月28日死去。97歳。本姓は浜田。通称は辰弥,顕助。号は青山。

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大辞林 第三版の解説

たなかみつあき【田中光顕】

1843~1939) 政治家。高知県生まれ。元老院議官・警視総監・宮内次官等を経て宮内相を11年間務め、宮中に絶大な権力を築いた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

田中光顕
たなかみつあき

[生]天保14(1843).閏9.25. 高知
[没]1939.3.28. 静岡
政治家。幕末には土佐勤王党に属し,維新後新政府に出仕。明治1 (1868) 年兵庫県権判事となり,以後大蔵少丞,戸籍寮頭,欧米使節理事官,征討軍会計部長,陸軍省会計局長などをつとめ,さらに恩給局長官,内閣書記官長などを経て,1887年会計検査院院長となった。その後警視総監に転じたが,91年宮中顧問官,学習院院長,宮内次官などを歴任,98年宮内相となった。宮内相在任中の 11年間に,宮内省に築いた勢力は絶大であった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

田中光顕
たなかみつあき
(1843―1939)

明治時代の政治家。天保(てんぽう)14年閏(うるう)9月25日、土佐藩下級武士の子に生まれる。武市瑞山(たけちずいざん)に師事し勤王同盟に加わり、1863年(文久3)京都に出、志士と交わる。1864年(元治1)脱藩し長州に入り、高杉晋作(たかすぎしんさく)の知遇を得、長州征伐では丙寅丸(へいいんまる)に乗り幕軍と戦った。1867年(慶応3)中岡慎太郎(なかおかしんたろう)が組織した陸援隊の幹部となる。1868年(明治1)以降、兵庫県権判事(ごんはんじ)、大蔵少丞(しょうじょう)などを経、1871年岩倉使節団の随員として欧米に派遣され、西南戦争には征討軍会計部長として功労があった。1881年陸軍少将。さらに元老院議官、警視総監、宮中顧問官などを歴任、学習院長、宮内次官を経て1898年より11年間宮内大臣を勤め宮中に勢力をもった。また維新の志士の顕彰に余生を捧(ささ)げ、多摩聖蹟記念館、常陽(じょうよう)明治記念館(現、大洗町幕末と明治の博物館)、高知青山文庫の建設や維持にあたった。伯爵。昭和14年3月6日没。[佐々木克]
『田中光顕著『維新風雲回顧録』(河出文庫)』

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