田中長兵衛(読み)タナカ チョウベエ

20世紀日本人名事典 「田中長兵衛」の解説

田中 長兵衛(2代目)
タナカ チョウベエ

明治・大正期の実業家



生年
安政5年10月20日(1858年)

没年
大正13(1924)年3月9日

出生地
江戸(現・東京都)

経歴
御用商人・田中長兵衛の長男として生まれる。工部省が経営に失敗した釜石鉄山払下げを受け、明治20年釜石鉱山田中製鉄所創立し、同山経営の基礎を確立。27年同所において野呂景義の指導で日本初のコークス製銑に成功。日清戦争後、台湾鉱山を開くなど鉱業界に名をはせ、大正6年経営を集中して田中鉱山を設立。第一次大戦後は不況と釜石争議などにより衰退し、13年釜石製鉄所を三井鉱山に譲渡した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田中長兵衛」の解説

田中長兵衛(初代) たなか-ちょうべえ

1834-1901 幕末-明治時代の実業家。
天保(てんぽう)5年生まれ。薩摩(さつま)鹿児島藩御用商人田中家の婿養子。維新後,陸海軍食糧,造船用材料などの調達にあたる。工部省が廃山にした釜石鉱山横山久太郎とともに再建し,明治20年釜石鉱山田中製鉄所を創立,社長となった。明治34年11月7日死去。68歳。遠江(とおとうみ)(静岡県)出身。本姓新井

田中長兵衛(2代) たなか-ちょうべえ

1858-1924 明治-大正時代の実業家。
安政5年10月20日生まれ。初代田中長兵衛の長男。父をたすけ釜石鉱山田中製鉄所の経営にあたる。大正6年田中鉱山に改組し社長となる。第一次大戦後の不況と関東大震災での本店焼失,労働争議などのため事業は衰退した。大正13年3月9日死去。67歳。江戸出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「田中長兵衛」の解説

田中 長兵衛(2代目) (たなか ちょうべえ)

生年月日:1858年10月20日
明治時代;大正時代の実業家
1924年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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