田城跡(読み)あしだじようあと

日本歴史地名大系 「田城跡」の解説

田城跡
あしだじようあと

[現在地名]藤岡市藤岡

鷹匠たかじよう町にある。天正一八年(一五九〇)三万石を与えられた芦田(松平)康貞が居城とし、慶長五年(一六〇〇)大坂よどで小栗三助殺害後高野山に引籠ったため家断絶となり廃城となる。芦田氏は信州佐久さく郡芦田(現北佐久郡立科町)に居城を構え、依田氏を称し武田家に仕えていた。「依田記」によると信守は浄法寺じようぼうじ(現多野郡鬼石町)に居住し、領していた藤岡に築城を計画したという。のち徳川家康に従った康国は北条氏攻めで功をたて、松平姓を賜わり、康国が謀殺されたのち弟の康貞が家督を継いだ。


田城跡
あしたじようあと

[現在地名]立科町芦田 茂田井

芦田川東岸の丘陵上にあり、みや城ともよばれる茶臼城形の城で、芦田氏の居城。現在は東西二五間、南北一五間の本郭のみが残り、芦田氏の祖を祀るという木ノ宮社がある。

芦田氏は大井庄地頭とされる岩村田いわむらだ(現佐久市)大井氏から出て長窪ながくぼ(現小県郡長門町)によったといわれている依田氏が、後にここに移って芦田氏を称したもので、永享の乱(一四三八)以前既に佐久の一大勢力であったことは「満済准后日記」永享七年(一四三五)正月二九日に「サク郡信州也ニ此大井モアシタモ構要害候、サク郡ヲトヲリテウスイタウケヘモ、又上野国ヘモ可罷通之間(中略)アシタヲ御退治可然」といわれたことでも知られる。


田城跡
ひしやくだじようあと

[現在地名]高知市上本宮町

かがみ川左岸、鏡川橋の北西方丘陵上にあった平山城。現在城跡には大黒大明神の小祠と土塁・石垣がわずかに残る。城主は大黒氏。慶長三年(一五九八)の大黒備前守親周記(蠧簡集)によると、承久四年(一二二二)大黒太郎左衛門範宗が土佐郡杓田などを領したという。また「土佐諸家系図」は長宗我部氏六代満幸の子範宗が大黒太郎左衛門範宗で、大黒氏の祖となったとする。

永禄三年(一五六〇)長宗我部元親が本山氏打倒の軍を起こすと、それまで本山氏に帰属していた大黒備前守親周(主計)は元親に降伏、以後長宗我部氏のために軍功に励んだ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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