田宮 二郎(読み)タミヤ ジロウ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「田宮 二郎」の解説

田宮 二郎
タミヤ ジロウ


職業
俳優

本名
柴田 吾郎

生年月日
昭和10年 8月25日

出生地
京都府 京都市

学歴
学習院大学政経学部〔昭和33年〕卒

経歴
昭和31年ミスター・ニッポンに選ばれて、すぐ大映入社、32年「誓いてし」でデビュー。甘い二枚目役に出演した後、36年「女の勲章」の冷たい二枚目で注目され、同年勝新太郎とコンビを組んだ「悪名」に主演してスターとなる。以後、同シリーズ14本、37年「黒の試走車」にはじまる「黒」シリーズ、39年「宿無犬」にはじまる現代ヤクザもの「犬」シリーズなどで大映の看板スターとして活躍。40年に女優の藤由紀子と結婚。42年山本薩夫監督の「白い巨塔」の主役・財前五郎役を好演。43年ポスター序列問題で解雇され、映画出演をシャットアウトされる。44年以降フリー。46年田宮企画を設立。この間、44〜53年テレビのクイズ番組「タイムショック」の司会者を務め、人気を博した。その後加藤泰監督の「人生劇場」(47年)「花と竜」(48年)、松竹必殺仕掛人」(48年)、山本薩夫監督の「華麗なる一族」(49年)「不毛地帯」(51年)などで好演したが、躁鬱病に悩み、M資金という怪組織からの融資話を信じ苦境に陥った。52年映画「イエロー・ドッグ」を英国と提携して製作したが、全くの不人気で、鬱病も激しく、53年12月散弾銃で自殺した。テレビ出演に「白い影」など「白」シリーズがある。

没年月日
昭和53年 12月28日 (1978年)

家族
妻=藤 由紀子(元女優),長男=柴田 光太郎(俳優),二男=田宮 五郎(俳優)

伝記
マル秘私の昭和映画史市川雷蔵かげろうの死 江本 弘志 著田山 力哉 著(発行元 東京図書出版会,星雲社〔発売〕社会思想社 ’02’88発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「田宮 二郎」の解説

田宮 二郎
タミヤ ジロウ

昭和期の俳優



生年
昭和10(1935)年8月25日

没年
昭和53(1978)年12月28日

出生地
京都府京都市

本名
柴田 吾郎

学歴〔年〕
学習院大学政経学部〔昭和33年〕卒

経歴
昭和31年ミスター・ニッポンに選ばれて、すぐ大映に入社、32年「誓いてし」でデビュー。甘い二枚目役に出演した後、36年「女の勲章」の冷たい二枚目で注目され、同年勝新太郎とコンビを組んだ。「悪名」に主演してスターとなる。以後、同シリーズ14本、37年「黒の試走車」にはじまる「黒」シリーズ、39年「宿無犬」にはじまる現代ヤクザもの「犬」シリーズなどで大映の看板スターとして活躍。40年に女優の藤由紀子と結婚。42年山本薩夫監督の「白い巨塔」の主役・財前五郎役を好演。43年ポスター序列問題で解雇され、映画出演をシャットアウトされる。44年以降フリー。46年田宮企画を設立。この間、44〜53年テレビのクイズ番組「タイムショック」の司会者を務め、人気を博した。その後加藤泰監督の「人生劇場」(47年)「花と龍」(48年)、山本薩夫監督の「華麗なる一族」(49年)「不毛地帯」(51年)などで好演した。53年12月自殺。テレビ出演に「白い影」など「白」シリーズがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「田宮 二郎」の解説

田宮 二郎 (たみや じろう)

生年月日:1935年8月25日
昭和時代の俳優
1978年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android