由比忠之進(読み)ユイ チュウノシン

20世紀日本人名事典 「由比忠之進」の解説

由比 忠之進
ユイ チュウノシン

昭和期のエスペランティスト,平和運動家



生年
明治27(1894)年10月11日

没年
昭和42(1967)年11月12日

出生地
福岡県糸島郡前原町

学歴〔年〕
蔵前高等工業学校(現・東京工大)電気科〔大正8年〕卒

経歴
労働運動に共感学歴を隠して沖電気の職工として就職。1年後入営、除隊後、学歴がわかって会社に戻れず、9年小学校教師を妻とし、特許事務所で外国の特許の翻訳従事、かたわらエスペラントを学び、13年東京職業補導所に入り木工技術を習得。同級生の資金援助で家具屋を開業したが、力仕事に痛みが出るようになり家具屋をやめ、名古屋放送局に勤務した。昭和5年名古屋で名古屋エスペラント会創立に参加。13年満州製糸に入社、19年軍の依頼で木材飛行機をつくる会社を設立。24年引き揚げ、26年八千代電設に入社、名古屋駐在員となり、愛知平和委員会と接触、平和運動に参加。31年世界エスペラント運動日本代表として中国訪問。その後白河電気に入社。34年原水爆禁止の平和行進に参加。41年横浜に移って健康を害しエスペラントを通してベトナム反戦運動専心。42年11月11日佐藤首相訪米に抗議するため首相官邸前の道路焼身自殺をはかり、翌日死亡した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「由比忠之進」の意味・わかりやすい解説

由比忠之進
ゆいちゅうのしん
(1894―1967)

エスペランティスト。福岡県生まれ。1919年(大正8)東京高等工業学校(現、東京工業大学)卒業。1921年ごろからエスペラントを学び始める。特許事務所に勤務したのち、木工の技術を習って家具屋を経営し、1930年(昭和5)名古屋放送局勤務。1932年名古屋エスペラント会創立に参加。1938年満州製糸に入社して渡満日中戦争正義の戦争と信じ、敗戦により打撃を受け、戦後贖罪(しょくざい)の意識から、一時、一燈園(いっとうえん)に入る。1951年(昭和26)愛知県平和委員会と接触をもち、以後平和運動に打ち込む。1956年には世界エスペラント運動(MEM)の日本代表として訪中。1967年11月、アメリカのベトナム戦争に協力する佐藤栄作首相の訪米に抗議して首相官邸前で焼身自殺した。

[北河賢三 2018年10月19日]

『思想の科学研究会編『埋もれた精神』(1981・思想の科学社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「由比忠之進」の解説

由比忠之進 ゆい-ちゅうのしん

1894-1967 昭和時代のエスペランティスト,反戦運動家。
明治27年10月11日生まれ。大正10年ごろからエスペラントをまなぶ。昭和13年満州(中国東北部)へわたり24年帰国。エスペラントの普及と反戦運動に従事する。昭和42年11月12日ベトナム戦争に協力する佐藤栄作首相の訪米に抗議して,首相官邸前で焼身自殺した。73歳。福岡県出身。東京高工(現東京工業大)卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「由比忠之進」の解説

由比 忠之進 (ゆい ちゅうのしん)

生年月日:1894年10月11日
昭和時代のエスペランティスト;反戦運動家
1967年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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