法律文書への署名人が署名に代えて,自己の指の形状を抽象化して紙上に記すことをもって,真正に自己の意志に基づくものであることのあかしとするものを,画指という。中国において,敦煌で発見された唐代の文書のなかに多数の実例が見られ,記録によれば,少なくとも南北朝時代から下っては明代まで行われていたことが知られる。手のひらを上に向けて指を紙上におき,筆でその寸法を取るものであり,指の先と二つの節に当たる位置合計3ヵ所に短い横線を記す。最も簡単なものはそれだけであるが,またこの横線を連ねるように1本の縦線を加えることもあり,さらには〈左手中指節〉など,それが指の形である旨を明示した文字を書き添えることもある。指は食指(人差指)または中指が用いられ,男性は左手,女性は右手を用いる慣わしであった。中国の文化が周辺の諸国に及ぶにつれて,画指も朝鮮,越南(ベトナム)などに伝わり,日本でも奈良朝時代から鎌倉初めごろまで行われたことがある。
執筆者:滋賀 秀三 日本では戸令(こりよう)(養老令の一つ)に慣習法として言及されている。奈良時代文書には5例あり,平安時代にも多数の例があるが,男性の例は減じて女性の例のみが残り,1202年(建仁2)をもって画指は姿を消す。男性は左指,女性は右指とするが,遺例は必ずしもこれに準じていない。画指様式は三点・四点の点式,線式,指形式などの3式があって,指は食指が使われた。画指の研究は最近急速に進んだが,江戸時代の学者は爪印や拇印などと混同していた。
執筆者:荻野 三七彦
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文字を書けない者が、自署のかわりに、指の長さと関節の位置を画(か)いたもの。中国では6世紀以前から用いられており、唐の制度に準拠した『大宝令(たいほうりょう)』(701)に、離婚文書の署名の代用として規定されている。中国では明(みん)代まで用いられ、朝鮮王朝(李氏(りし)朝鮮)や安南(あんなん)(ベトナム)にも及び、ベトナムでは現在も使用されている。日本では奈良時代から鎌倉時代前期までの借銭文書(しゃくせんもんじょ)や売券(ばいけん)に実例があり、右手の食指を用いて指先を上にするのが普通であるが、左手を用い、指先を下にして画いたものもある。平安時代以降は女性に限られており、末期には形式化して指の長さを正確に表さぬものも現れた。
[皆川完一]
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指則(ゆびのり)とも。字の書けない者が,文書に自分の名前を書くかわりに人さし指の長さと節の位置を書いたもの。本来中国の南北朝時代に始まったが,日本でもとりいれられた。「大宝令」の戸令(こりょう)に,妻を離婚する際,夫が字を書けない場合は画指をせよ,という規定がみられる。奈良時代は盛んに行われたが,中世以降はみられなくなった。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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…なお,花押と略押を区別する基準は必ずしも明確ではなく,漢字を極端に草体化したものや,その変形を略押に含める見方もある。 花押の代用には,略押のほかに画指(かくし),拇印(ぼいん),つめ印,筆軸印(筆印)がある。画指は令制(戸令七出条)に由来して歴史は古いが,その使用例は少なく,また13世紀中ごろ以後は使用例が見られず,拇印も古代・中世には使用例が少なく,つめ印が盛行するのは近世に入ってからで,中世を通じて広く用いられたのは,略押と筆軸印であった。…
※「画指」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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