黒点(読み)こくてん(英語表記)sun spot

精選版 日本国語大辞典 「黒点」の意味・読み・例文・類語

こく‐てん【黒点】

〘名〙
① 黒色の点。
東京新繁昌記(1874‐76)〈服部誠一〉初「肌膚皆白ふして只臍下の小黒点を見るのみ」
② 太陽面の黒い斑点。太陽面より温度が低いため黒く見える。形はほぼ円形。直径は数百~十数万キロメートル、寿命は数時間から数か月、約一一・一年の周期で増減する。強い磁場があり、黒点の多い時は地球の磁気あらしオーロラ現象が起こりやすい。太陽の活動を示す重要な要素とされる。サンスポット。〔物理学術語和英仏独対訳字書(1888)〕
③ よくない所。汚点。
※一国の首都(1899)〈幸田露伴〉「されば人類全般の歴史にこの好まらしからぬ黒点を付与したる責は」

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デジタル大辞泉 「黒点」の意味・読み・例文・類語

こく‐てん【黒点】

太陽の光球面に出現する黒い斑点。周囲より1000~1500度ほど低温のため黒く見え、中央の暗部とその周囲の半暗部とからなる。直径数百~十数万キロ。数は約11年の周期で増減する。太陽黒点
[類語]ぽちぽつちょぼちょん中黒なかぐろドット

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改訂新版 世界大百科事典 「黒点」の意味・わかりやすい解説

黒点 (こくてん)
sun spot

黒点は太陽面の黒いしみのような現象で,太陽赤道をはさんだ±35°の緯度内にほとんど現れる。単独よりも東西方向にのびた群として消長することが多く,大きな群は太陽光を極度に減光(10万分の1以上)すれば肉眼でも認められることがある。個々の黒点は大小さまざまで不規則なものも少なくないが,大きいものは直径数万km以上にもなる。寿命は数時間の程度からまれには数ヵ月に及ぶものもある。代表的な黒点は芯の暗部と呼ばれる黒い部分とそれをとり巻く薄黒い半暗部からなっているが,半暗部が一部欠けた黒点や,半暗部のない小黒点も珍しくない。

黒点についての最古の記述は,アテナイテオフラストスの事跡(前350ころ)および中国の《淮南子(えなんじ)》精神訓(前120ころ)中に見られる。その後中国では前28年より系統的な観測が行われたのに対し,西欧では太陽は完全無欠の神的領域に属するものという信念に災いされて長く認知されず,惑星の日面通過などと解釈されてわずかに記録されるにとどまった。日本での最古の観測は《文徳実録》巻三に〈仁寿元年十一月甲戌(851年12月2日),日無精光,中有黒点,大如李子〉と記されている。

望遠鏡による観測は1611年J.ファブリチウス,G.ガリレイ,C.シャイナー,ハリオットT.Harriot(1560-1621)の4人によって幕あけした。その成果はG.ガリレイの《太陽黒点についての手紙》(1613)およびC.シャイナーの《Rosa ursina sive sol》(1626-30)に著されている。彼らは黒点が移動中に形,大きさを変えることから,惑星でなく太陽面現象であるとし,その移動から太陽自転周期を求めている。また黒点が群をなして定まった緯度帯に現れることを見つけている。

近代観測が始まって約150年たった1769年に,A.ウィルソンは黒点が太陽の縁近くにあるとき,太陽の中心側の半暗部が縁側よりも狭くなったり,ほとんど見えなくなることを見つけ,これは黒点がまわりよりも低くくぼんでいるためと考えた。現在の測定ではこのくぼみは500~1000km程度とされている。

H.シュバーベは,その43年間にわたる観測から,黒点出現頻度がほぼ10年の周期で変動することを示した(1843)。この発見を受けてR.ウォルフはガリレイ,シャイナーの古い観測まで含めて,くわしい解析を行い,黒点周期としては11年のほうが近いことを明らかにした。彼が解析に用いた黒点相対数(ウォルフ黒点数,図1)は,黒点の群数の10倍に全黒点数を加えたものであるが,これは黒点の頻度を表すというよりも,太陽の黒点活動を表す指標として,有用性がその後広く受け入れられている。ウォルフが台長をつとめたチューリヒ天文台は,最近まで世界の観測から黒点相対数を求める中央局であったが,現在この仕事はブリュッセル王立天文台に移っている。黒点相対数を求める観測は,小望遠鏡でもできる簡単な観測であるが,黒点活動はいろいろある太陽活動の中の一つであるという最近の考え方からすると,太陽の働きのもっとも手軽に得られる非常に重要な指標ということができる。

キャリントンR.Callington(1826-75)は,黒点の現れる平均緯度が黒点周期とともに高緯度から赤道方向に移動することを見いだしたが,引き続いてシュペーラーG.Spörer(1822-95)がくわしく調べたので,この現象は彼の名を冠してシュペラーの法則と呼ばれている。黒点の平均出現緯度は±30°から始まって±10°付近のもっとも黒点数の多いときを経て,±5°付近で黒点数の最少期を迎え,同時に新しい黒点周期が±30°付近で始まる。この法則をきれいに示したのが,バタフライ・ダイヤグラムbutterfly diagramと呼ばれるもので,発見者のモーンダーE.Maunder(1861-1928)にちなんでモーンダーのチョウ型図と呼ばれる(図2)。

1906年ウィルソン山天文台でとられた黒点のスペクトルは,まわりの光球のスペクトルと比べてほとんどの吸収線が強く見え,温度が低いことを示した。これは黒点の温度が低いためにまわりより暗く見えることを立証したものである。温度の決定は地球大気の影響で光球の光がまざりこむのでなかなかむずかしいが,現在では4000~4500Kくらいと考えられている。

1908年ウィルソン山天文台でスペクトル線ゼーマン効果から黒点に磁場のあることが発見された。典型的な黒点磁場は3000ガウスの程度であるが,まれには4000ガウスを超すこともある。暗部でもっとも強く半暗部に向かって減少している。黒点の低温なのは磁場が太陽中心からのエネルギーの流れをせきとめているからだと考えられている。

標準的な黒点は東西に並んだ正負の磁極をもつ1対として現れ,正負の並び方は北半球南半球で逆であり,しかも黒点周期ごとに南北半球の現象が入れ代わるという法則で,1925年G.E.ヘールが発見した(図3)。この見地からすると太陽活動の周期は約22年であるということができる。

黒点の半暗部を外向きに流れ出る流れで,1909年エバーシェッドJohn Evershed(1864-1956)が発見した。半暗部の中ほど,あるいは光球寄りで最大速度2km/sほどになる。なお,上層(彩層)では流れが逆に内向きであることが知られている。

チューリヒ天文台のワルトマイヤーM.Waldmeier(1912-2000)によって始められた(1938)黒点の発達段階を示す分類である(図4)。黒点の発生は少数の小黒点のA型より始まり,順次→B→C→D→Eと発達し,F型で黒点も群も最大となり,以後→G→Hと小さくなり最後はJ型の単黒点となって消滅する(I型はない)。実際の黒点すべてがこの段階を経るわけではなく,大部分は例えばD→Jというように大きくならずに(中間をとばして)消えていく。こういう黒点の消長は現在では太陽大気中の磁力線の動きと考えられている。すなわち,強い磁力線の束が下層から光球に顔を出したときが黒点の始まりであり,磁力線の浮上につれて発達するが,やがて磁力線は小さい束に分かれたり拡散したりして磁場が弱くなり黒点は消滅する。

観測の進歩とともに最近は黒点の暗部の中の明るい斑点,半暗部のフィラメント状構造のふるまいが注目されている。それらの大きさや幅は角度の秒(太陽面になおせば1000kmくらい)という程度の細かい構造で,それまでの観測では十分に分離して調べられなかったものである。黒点の生成,進化,消滅を知るうえでの重要な鍵と思われている。

 黒点は太陽活動の盛衰を示す一つの指標となり,黒点の多いときは太陽からの紫外線,X線,微粒子線の放射も活発で,磁気あらし,オーロラ,デリンジャー現象などが起こりやすい。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「黒点」の意味・わかりやすい解説

黒点
こくてん
sunspot

太陽をはじめ恒星の表面に暗く見える斑点(はんてん)の総称。

 黒点は天体の磁場の代表的な現象であるが、太陽の黒点は太陽黒点と表記され、恒星黒点と区別されることが多い。一般に黒点とだけ表記されるときは太陽黒点をさす。この項では太陽黒点について記述する。

 太陽の場合、光球が約6000℃の黒体放射の光を出すのに対して、黒点は約4000℃の黒体放射の光を出す。このため光球より暗く見え、黒色と表現される。黒体放射として見た実際の色は褐色あるいは茶色。1908年、太陽黒点に磁場が発見され、地球外での最初の磁場の発見となった。

[吉村宏和]

太陽黒点の構造と出現の原理

現在、黒点は内部の磁場を現す磁力線が、狭い管状に集まって形成される磁束管の現象の1つであると考えられている。磁束管は周囲より軽くなって表面に浮かび上がることがある。磁束管が冷却されると、磁束管の太陽表面での切り口の温度が下がって暗く見える。この暗く見える切り口が黒点と考えられている。

 表面に現れた磁束管の温度が光球と変わらないと黒点が目立たない。また、温度が高く、輝いて見えていた磁束管の温度が下がって黒点となるときもある。磁束管がどのようなときに加熱され、どのような時に冷却されるかは太陽黒点の理解の基本問題の1つである。

 太陽黒点は磁場の現象であるため、黒点にともなうN極とS極の領域が同時に存在する。両方の極の領域が冷却され、黒点となっている場合は2つの黒点がペアになって双極黒点群となる。ペアは東西にならび、先行黒点と後行黒点とよばれる。ペアとなった黒点の一方は小さな黒点の集まりであることが多い。ペアとなった黒点の中央部分から小さな黒点が次々と形成され、ペアの黒点に吸い込まれていく現象も見られている。ペアの一方だけが大きく成長し、片方は小さな黒点の集まり、あるいは、黒点とならずに磁束管で形成される場合があり、これは単極黒点とよばれる。

 大きくなった黒点の磁場は中央部から光球の表面に沿って横に広がり、半暗部とよばれる。黒点の中央部の磁力線は光球の表面にほぼ垂直であり、暗部とよばれる。暗部と半暗部の境目、また、半暗部と光球の境目はくっきりとして境界が明確である。

 黒点がよく出現する太陽の北緯40度から南緯40度までは黒点帯とよばれる。黒点の数は11年の周期で増減を繰り返し、これを黒点の11年周期という。数が少ない黒点極小期は、緯度30度付近に現れ、数が多い黒点極大期には緯度15度付近に出現するものが多い。

[吉村宏和]

太陽黒点の発見の歴史

霧や火災の煙、大量の黄砂などによって太陽の強い光が遮られると、肉眼でも黒点が見えることがある。そのため、望遠鏡が天体観測に使われるより昔から黒点の存在は確認されていた。現在、世界の各国で次々と過去の黒点の記述が発見されている。アジアでは日本、中国、韓国などに記録が残っている。ヨーロッパでは、紀元前300年以上前のギリシアのアリステレスの高弟であるテオプラストスが気象現象との関連で記述している。黒点を描いた最古のスケッチは、イギリス中部のウスターのジョンと呼ばれる僧侶が1140年までに書き表した歴史書が知られている。

 1609年に望遠鏡による天体観測が始まり、1610年から太陽黒点も観測されるようになった。観測者としてイギリスのトーマス・ハリオットThomas Harriot(1560―1621)とそのグループ、ドイツのファブリキウスとその子のヨハネスJohannes(1587―1615)、南ドイツのシャイナー、イタリアのガリレイ、ルドビコ・チゴリLodovico Cigoli(1559―1613)、ドメニコ・クレスティDomenico Cresti(1559―1638)などが知られている。イギリスのアレキサンダー・ウィルソンAlexander Wilson(1714―1786)は、1769年に太陽周辺で黒点が太陽表面の穴のように凹んでいることを見つけ、黒点の物理的構造の解明のきっかけとなった。

 直接、望遠鏡で太陽を観測することは眼に障害をもたらす危険があるので、多くはカメラ・オブスキュラ(暗い部屋の意)という暗い部屋で太陽像を投影して観測された。

[吉村宏和]

黒点による太陽の自転の発見

ルドビコ・チゴリと、それに続く観測者によって、黒点が太陽の表面を移動していくとき、球の上を回転していくかのように見えることを報告されると、黒点の存在は太陽も地球の公転と同じように同じ方向に自転している証拠とされた。1863年にはイギリスのリチャード・キャリントンRichard Carrington(1826―1875)が黒点を指標として自転の速度を計測し、太陽の自転周期あるいは角自転速度が緯度によって異なることから、赤道部分が速く自転していることを発見した(赤道加速)。

[吉村宏和]

太陽黒点11年周期と地球地磁気

1843年のドイツのシュワーベは、水星より太陽に近いところにあると予想されていた内惑星を見つけるため、黒点を記録していたが、その結果、黒点の数が増えたり減ったりすることを発見した。当時、設立されたばかりのチューリヒ天文台のウォルフはこの現象に興味をもち、過去の黒点の記録をさかのぼって、黒点の数は平均11年の周期で変化していることを発見した。同時に、黒点の記録がまったくない時期(マウンダー極小期)があることにも気づいている。

 1852年、イギリスのエドワード・サビーンEdward Sabine(1788―1883)は、地球磁気を測定する地上の磁針の触れの大きさの時間変化は、ウォルフが決定した黒点の数の時間変化と酷似することを発表した。ウォルフ、ジャン・アルフレード・ガウチエ、ヨハン・フォン・ラモントJohann von Lamont(1805―1879)も同様なことを発表すると、黒点は太陽表面の黒いしみのような存在にすぎないわけではなく、太陽の物理現象であり、しかも地球磁場の現象と結びついているという認識が広がっていった。

 地球磁気との関係は、突然見つかったわけではない。その前年の1851年には、ラモントは磁気嵐には太陽黒点11年周期と似た10年周期が存在することを発見している。また、ラモントの発見の前に、1635年のイギリスのヘンリー・ジェリブランドの地球の磁場の変動の発見、1733年のジャン・ジャック・オルトゥール・ド・ミランの太陽に黒点があるときに、オーロラが出現することの発見、1747年のアンデルス・セルシウスとオロフ・ヒオルテールによるオーロラと地球磁場の変動には関係があることの発見がある。したがってオーロラを通じて黒点と地球磁場変動には相関があるべきという予測がすでにあったことになる。

[吉村宏和]

太陽黒点の磁場の発見

太陽は磁場をもっているのではないかという予測は長い間あったが、実証は1908年に発表されたウィルソン山天文台のヘールによるものである。磁場のなかの原子が出す光のゼーマン効果を黒点からの光に見たのである。

 ヘールはセス・ニコルソンとともに長期間の観測を行い、1925年に双極黒点群の先行黒点と後行黒点の極性は1回の太陽周期のあいだ、北半球ではほぼ同じ関係だが、南半球では逆であること、しかし、次の太陽周期が始まるとこの関係は逆転することを発表した。

 この現象は、黒点が太陽全体の磁場の構造と時間変化に支配されているということを示している。また、太陽黒点の平均周期は、極性の反転を考慮すると11年ではなく22年であることを示している。

[吉村宏和]

太陽黒点と太陽放射量

太陽黒点と地球の関係のさらに深いつながりは、黒点と太陽からの光のエネルギー放射の総量である太陽放射量の変化の関係に見られる。太陽放射量は一定でなく、太陽黒点11年周期と同様に変動すべきであることが1978年の太陽磁場の創成の理論である吉村の非線形ダイナモ理論によって理論的に予測されていた。1978年から系統的に宇宙空間の複数の衛星からの観測データが蓄積されると、太陽放射量も太陽黒点11年周期と同様な変動をしていることが確定的に示されている。太陽黒点11年周期と太陽放射周期は必ずしも同じ時間変化をするとは限らないが、太陽放射変動は地球気候変動の重要な要素であるため、現在、詳細な研究が進められている。

[吉村宏和]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「黒点」の意味・わかりやすい解説

黒点
こくてん
sunspot

太陽表面上の比較的温度の低い部分。強い磁場を伴っている。光球部より温度が数千度低いために黒く見える。黒点の中心部の特に暗いところを暗部,周囲の薄暗いところを半暗部と呼ぶ。黒点は地球の数倍の大きさで,対または群となって出現する。 1989年3月に観測された,史上屈指の大黒点群の面積は 100億 km2であった。黒点対は太陽の赤道に平行に並び,その寿命は長いもので4ヵ月ほど。対の前後で磁場の極性が異なる。また,太陽周期 11年ごとに前後の極性が入替る。大きな黒点は肉眼でも見えるが,その存在は 1611年ガリレイによって確認された。 S.シュワーベは 1843年に 11年周期の存在を発表,R.カリントンは,60年,太陽の赤道部は極付近よりも速く自転していることを発見した。 1908年 G.ヘールは磁場を発見,A.モンダーは蝶形図,つまり黒点の緯度変化を示す図をつくった。黒点は磁気嵐フレア現象と密接な関連にある。

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百科事典マイペディア 「黒点」の意味・わかりやすい解説

黒点【こくてん】

太陽黒点とも。太陽光球面に出現・消滅する黒い斑点。形は不規則で,中央の濃い部分を暗部,周辺の淡い部分を半暗部という。小さいものは直径数千km(地球から見た視角数秒)で寿命数時間〜1日,大きいものほど寿命が長く,最大は直径数万km,寿命十数ヵ月。ほとんどが南北緯度5°〜35°の範囲に出現し,太陽の自転に伴って移動。温度は光球より低く約4000〜4500Kで,このため光球と対比し黒く見える。3000ガウス程度の強い磁場をもつ。黒点の出現度はウォルフ黒点数で示され,ほぼ11年の周期で増減を繰り返す。太陽活動の盛衰を示す一つの指標となり,黒点の多いときは太陽からの紫外線・X線・微粒子線の放射も活発で,したがって磁気嵐(あらし)やオーロラなどが起こりやすい。黒点の消長は,太陽大気中の磁力線の動向であると考えられ,強い磁力線の束が下層から光球に顔を出したときが黒点の始まりで,磁力線の浮上とともに発達し,磁力線が小さく分かれたり拡散したりして磁場が弱くなると黒点は消える。

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普及版 字通 「黒点」の読み・字形・画数・意味

【黒点】こくてん

黒い点。

字通「黒」の項目を見る

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世界大百科事典(旧版)内の黒点の言及

【シャイナー】より

…イエズス会の学校で基礎教育を受け,同会に入会して司祭となった。インゴルシュタットで数学,天文学を研究,G.ガリレイとほとんど同じころ,望遠鏡を作製して,1611年3月に太陽の黒点を見つけた。イエズス会では懐疑的だったので,彼の友人であるウェスラーM.Weslerが匿名で,二度にわたってシャイナーの太陽黒点の確認,それの回転周期などを含んだ論考を発表した。…

※「黒点」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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