盛田昭夫(読み)モリタアキオ

デジタル大辞泉 「盛田昭夫」の意味・読み・例文・類語

もりた‐あきお〔‐あきを〕【盛田昭夫】

[1921~1999]実業家愛知の生まれ。昭和21年(1946)井深大いぶかまさるとともに東京通信工業(ソニー前身)を創立。初の国産テープレコーダートランジスターラジオなど、独創的な製品を次々と開発し、ソニーを世界的企業に躍進させた。著書に「『NO』と言える日本」(石原慎太郎との共著)がある。

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20世紀日本人名事典 「盛田昭夫」の解説

盛田 昭夫
モリタ アキオ

昭和・平成期の実業家 ソニー名誉会長



生年
大正10(1921)年1月26日

没年
平成11(1999)年10月3日

出生地
愛知県常滑市

学歴〔年〕
大阪帝国大学理学部物理学科〔昭和19年〕卒

主な受賞名〔年〕
国際マーケティング賞〔昭和44年〕,藍綬褒章〔昭和51年〕,アルバート勲章〔昭和57年〕,国際エミー賞(特別貢献賞)〔昭和57年〕,ウイリアムズ大学名誉博士号(米国)〔昭和57年〕,西ドイツ功労十字章〔昭和62年〕,有功勲章第一級ナイト・コマンダーズ・クロス章,経済界大賞(第14回 昭63年度),南十字星ブラジル国家勲章コメンタドール章〔平成1年〕,勲一等瑞宝章〔平成3年〕,IEEE栄誉賞〔平成3年〕,英国生産技術学会国際金メダル〔平成3年〕,大英勲章第二位〔平成4年〕,ベルギー・レオポルド勲章コマンドール章〔平成5年〕,IEEEファウンダーズ賞〔平成6年〕,ジャパン・ソサエティー賞〔平成7年〕,サン・ジョルディ十字勲章〔平成8年〕,レジオン・ド・ヌール勲章〔平成10年〕

経歴
生家は酒屋ながら、好きな物理があきらめ切れず、東京工業大学講師を経て、海軍航空技術厰光熱兵器部にいた頃知り合った井深大とともに、昭和21年東京通信工業(現・ソニー)を設立、常務となる。34年副社長、46年社長に就任。51年会長。テープレコーダー、トランジスタラジオヘッドホンステレオ代名詞となったウォークマンなど数多くのヒット商品を世に出し、ソニーを世界的企業に発展させた。平成5年5月外資企業支援会社、対日投資サポートサービス会長。世界のセールスマンといわれ、日本では数少ない国際派経営者の一人で、ニューヨーク証券取引所諮問委員会委員も務めた。昭和57年日本で初めて英国のアルバート勲章を受章。61年〜平成4年経団連副会長、5年日米経済協議会会長を務めた。同年11月脳内出血で倒れ、財界活動から退く。6年11月ソニー会長を退任、ファウンダー・名誉会長。一方、昭和41年には「学歴無用論」を出版。他に「メイド・イン・ジャパン」、石原慎太郎との共著「『NO』と言える日本」を出版し話題となった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「盛田昭夫」の意味・わかりやすい解説

盛田昭夫
もりたあきお
(1921―1999)

実業家。愛知県生まれ。1944年(昭和19)大阪帝国大学理学部物理学科を卒業し、海軍技術中尉に任官。戦時研究委員会の熱線探知機開発メンバーとなり、そこで井深大(いぶかまさる)と知り合う。第二次世界大戦後、1946年に井深と東京通信工業を設立し、常務となり営業面を担当。1955年同社開発のトランジスタラジオを「ソニー」ブランドで販売。1958年には社名をソニーに変更。以後、自ら駐在しアメリカ市場を開拓するとともに、世界各国に販売会社を設立し、ソニーを世界的企業に躍進させた。1959年副社長、1971年社長に就任、1976年会長。1986年から1992年(平成4)まで経済団体連合会(現、日本経済団体連合会)副会長。1994年ソニー会長を退任し、ファウンダー・名誉会長となる。著書に『Made in Japan――わが体験的国際戦略』など。なお、1998年アメリカの『タイム』誌による20世紀にもっとも影響力のあった人物「20世紀の20人」に経済人として日本人ではただ一人選ばれた。

[編集部]

『『Made in Japan――わが体験的国際戦略』(朝日文庫)』

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百科事典マイペディア 「盛田昭夫」の意味・わかりやすい解説

盛田昭夫【もりたあきお】

経営者。愛知県生れ。実家は江戸時代から続く造り酒屋。大阪帝国大学(現,大阪大学)理学部物理学科卒業。第2次世界大戦末期は海軍に任官しており,戦時研究委員会で井深大(いぶかまさる)と出会う。1946年に井深と東京通信工業(1958年にソニーと改称)を設立,営業部門を担当し,トランジスターラジオや〈ウォークマン〉などを世界に売り込んだ。1971年に社長,1976年に会長,1994年には名誉会長に就任。財界一の国際派として知られ,〈世界のソニー〉を育てた。経団連副会長,日米経済協議会会長も務めた。おもな著書として《学歴無用論》や《「NO」と言える日本》(石原慎太郎との共著)などがある。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「盛田昭夫」の意味・わかりやすい解説

盛田昭夫
もりたあきお

[生]1921.1.26. 愛知
[没]1999.10.3. 東京
実業家。老舗の造り酒屋の長男に生まれる。 1944年大阪大学理学部を卒業。 1946年に井深大と共同で東京通信工業 (現ソニー ) を設立,営業面を担当して「世界のソニー」に育て上げた。携帯カセットテープ・プレーヤ「ウォークマン」の発案者でもある。 1971年から社長,会長,ファウンダー・名誉会長を歴任,1986年から 1993年まで経済団体連合会副会長を務めた。著書『メイド・イン・ジャパン』 (1987) は 32ヵ国で刊行され,約 150万部のベストセラーとなる。その他『学歴無用論』 (1966) ,石原慎太郎との対談『NOと言える日本』 (1989) など,大胆な発言が社会に及ぼした影響は小さくない。 1998年『TIME』誌で,20世紀に最も影響力のあった経済人 20人の一人に選ばれた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「盛田昭夫」の解説

盛田昭夫 もりた-あきお

1921-1999 昭和後期-平成時代の経営者。
大正10年1月26日生まれ。昭和21年井深大(いぶか-まさる)とともに東京通信工業(現ソニー)を設立し,営業を担当。アメリカでトランジスターラジオの販売をのばし,SONYのブランドを確立。46年社長,51年会長。欧米の財界人と交流をかさね,民間外交につくす。61年経団連副会長。平成11年10月3日死去。78歳。愛知県出身。大阪帝大卒。著作に「学歴無用論」など。

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367日誕生日大事典 「盛田昭夫」の解説

盛田 昭夫 (もりた あきお)

生年月日:1921年1月26日
昭和時代;平成時代の経営者。ソニー社長
1999年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の盛田昭夫の言及

【ソニー[株]】より

…日本を代表する国際的エレクトロニクス企業。前身である東京通信工業(株)が井深大(1908-97),盛田昭夫らによって設立されたのが1946年5月。同社は真空管電圧計,電磁音叉(おんさ),通信機器の試作研究・生産を行っていたが,50年7月には日本初のテープレコーダーG型を発売。…

※「盛田昭夫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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