目村(読み)えのめむら

日本歴史地名大系 「目村」の解説

目村
えのめむら

[現在地名]能登島町目

能登島の東端部、八(はち)ヶ崎(さき)村から南東へ一〇町余の富山湾に東面した海岸沿いの村。地名は漁船を害するの目を当地嶽(だけ)宮の神が鰹木に乗って弓で射て退治したことから目の地名が生じ、がになったという(鹿島郡誌)。寛正六年(一四六五)二月二三日の向田(こうだ)八幡宮棟札(伊夜比神社蔵)に、大檀那として目左衛門入道教道がみえる。文明一三年(一四八一)一月一一日の能登島八ヶ村公田田数注文(伊夜比神社文書)によれば、一宮気多社の二斗米(段銭)賦課の対象とされた「エノミ村」の公田数は九町二四〇刈で、波々伯部殿が知行。戦国後期頃の能登内浦村々給人注文写(諸橋文書)に「見」とみえ、能登畠山氏の直轄領で前守護畠山徳祐(義続)の支配分となっていた。なお、同氏支配分として載る泊(とまり)は当村の地内。「見」(天正二〇年八月一五日「白山宮建立棟札」伊夜比神社蔵)と記されたこともあった。

天正一二年(一五八四)六月一一日の算用状写(当摩文書)に「ゑのミ」とみえ、高五二六俵二斗。同一三年一一月二六日の年貢皆済状写(同文書)によると、同一二年分の高五八九俵余、うち荒七八俵余。


目村
そりめむら

[現在地名]長野市大字三輪(みわ) 目

吉田(よしだ)村の西南にあり、東は中越(なかごえ)村と境し、西は三輪(みわ)村と境し、南は西和田(にしわだ)村・平林(ひらばやし)村と境する。村の中央を東北に鐘鋳堰(かないせぎ)が流れ、一面の水田地帯で、集落は鐘鋳堰の北西にある。村名の初見は、慶長七年(一六〇二)の川中島四郡検地打立之帳(小柳文書)に「百九拾壱石壱斗五合 目村」とある。


目村
いばらめむら

[現在地名]柏崎市茨目・茨目一―三丁目・城塚(じようづか)・半田(はんだ)二―三丁目・三和(さんわ)町

東は両田尻(りようたじり)村、西は半田村、北は田塚(たつか)村、南は佐藤池(さとがいけ)新田。枇杷島の鵜川(びわじまのうかわ)神社所蔵の永禄八年(一五六五)三月五日の政藤(姓欠ク)寄進状写に「うはらめの白山宮千二百かりのふん やしきともに諸役をちやうし」とあり、当地と白山神社がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報