目黒区(読み)メグロク

デジタル大辞泉 「目黒区」の意味・読み・例文・類語

めぐろ‐く【目黒区】

目黒

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日本歴史地名大系 「目黒区」の解説

目黒区
めぐろく

面積:一四・七〇平方キロ

都区部の南部中央に位置する。北は渋谷区、東は品川区、南は大田区、西は世田谷区に接する。武蔵野台地南西部にあたり、淀橋よどばし台と目黒台の間の目黒川が北東部を、のみ川が南西部を流れ、坂の多い地形を形成している。中央部を北東から南西にかけて東急東横線、北部を京王井の頭線が通り、南端部を東急目黒線と同線と交差する東急大井町線が通る。品川区のJR目黒駅から当区南西部の東横線都立大学駅に向かって目黒通(主要地方道白金台町―等々力線)、その北方駒沢こまざわ(都道古川橋―二子玉川線)が通り、目黒通には下目黒大鳥おおとり神社付近で山手通(主要地方道環状六号線)碑文谷ひもんや柿の木かきのき坂で環七通(同環状七号線)が交差する。

〔原始・古代〕

遺跡は目黒川流域に集中する。旧石器時代の遺跡は中目黒遺跡大橋おおはし遺跡などで、中目黒遺跡では礫群を伴う石器集中部が確認され、ナイフ形石器や尖頭器・削器などを検出。縄文時代の遺跡は多く、中目黒遺跡では早期撚糸文期の集落が確認されている。前期の集落はまだ確認されていないが、中期後半の集落として油面あぶらめん遺跡・目黒不動めぐろふどう遺跡・大橋遺跡・みなみ遺跡などがあり、大規模な調査が実施された大橋遺跡は加曾利E式期の環状集落であったことが確認されている。後期・晩期の集落では学史上著名な東山ひがしやま貝塚がある。弥生時代の遺跡はやや少なく、中期では新富士しんふじ遺跡、後期では土器塚かわらけづか遺跡・鉢山町はちやまちよう遺跡・目黒不動遺跡があり、土器塚遺跡・鉢山町遺跡では一部ではあるが環濠が確認されている。古墳時代の遺跡は確認されていないが、南部の呑川流域の東光寺裏山とうこうじうらやま遺跡では平安時代の住居跡が確認されている。

律令制下の当区は荏原えばら郡に属していた。「和名抄」にみえる同郡美田みた郷は当区域に比定され、同郡の覚志かかし郷や荏原郷木田きた郷も区域にかかわっていたとする説がある。天台宗滝泉りゆうせん(目黒不動)は慈覚大師円仁が大同三年(八〇八)に創建したと伝え、縁起によれば天安二年(八五八)に堂宇が造営された。末寺の下目黒成就じようじゆ院も同年の創建と伝えられ、円仁が護持した薬師如来を安置したのがその起りとされる。大鳥神社は大同元年の創建が伝えられるが、勧請の時期を戦国時代末とする説もある。

〔中世〕

目黒の地名がどの時代までさかのぼるかは不明だが、「吾妻鏡」に登場する鎌倉御家人の目黒氏は目黒を本拠とする武士であると推定される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「目黒区」の意味・わかりやすい解説

目黒〔区〕
めぐろ

東京都 23特別区の一つ。 1932年区制。 1947年特別区制。武蔵野台地末端部の目黒台,荏原台にあり,目黒川,呑川などが谷を刻んでいる。北部の目黒川流域は城南工業地域の一部をなし,南部の台地上の自由が丘,緑が丘,大岡山洗足などは住宅地区。北部の駒場,大橋付近一帯の台地面は旧軍用地を転用して,第2次世界大戦後に東京大学教養学部などができた。南部には東京工業大学,目黒川の東側には防衛省技術研究本部艦艇装備研究所が立地。東部の下目黒には目黒不動があり,境内青木昆陽の墓 (国指定史跡) がある。東京急行電鉄東横線,田園都市線,目黒線,大井町線,京王電鉄井の頭線,東京地下鉄日比谷線,首都高速道路3号渋谷線が通る。面積 14.67km2。人口 28万8088(2020)。

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