東京都目黒区にある天台宗の寺。正しくは泰叡山滝泉(りゆうせん)寺。808年(大同3)に,円仁が下野から比叡山に赴く途中,この地に宿って不動明王を夢見,その像を刻んで安置したのがはじまりと伝える。後に再びこの地を訪れ,独鈷(とつこ)を投げた所に泉がわき出たので,滝泉寺と名付けた。また,この不動像は,日本武尊の像であるともいい,秘仏として不動堂にまつられている。1615年(元和1)春に類焼して伽藍を失ったが,間もなく旧に復した。1624年(寛永1)に将軍徳川家光が鷹狩を催したおり,逃げた愛鷹を当寺の住持が祈禱によって探し出した。その功により徳川将軍家の保護を受けて寺観は整備され,不動信仰の霊場として繁栄した。目白(豊島区金乗院),目青(世田谷区教学院),目赤(文京区南谷寺),目黄(江戸川区最勝寺)とともに〈江戸五色不動〉の一つで,毎月8の日が不動尊の縁日としてにぎわい,滝の水を浴びて治病を祈るならわしがある。境内には青木昆陽の墓があり,10月28日にはその功績をしのんで,甘藷まつりが行われる。
執筆者:中尾 尭
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東京都目黒区下目黒にある天台宗の寺。泰叡山(たいえいざん)滝泉寺(りゅうせんじ)の通称。808年(大同3)円仁(えんにん)が下野(しもつけ)国(栃木県)から比叡山(ひえいざん)に赴く途次、不動明王を安置したのが開創と伝え、入唐(にっとう)後に独鈷(とっこ)を投じて清泉を得たのが寺名のおこりという。1624年(寛永1)徳川家光(いえみつ)が鷹狩(たかがり)を縁に堂宇を造営、後西院(ごさいいん)天皇宸筆(しんぴつ)「不動明王」の勅額を下賜されて以来隆盛し、江戸五色(ごしき)不動の第一となり地名のおこりとなる。八百屋(やおや)お七にまつわる吉三(きちざ)の念仏堂や甘藷(かんしょ)栽培の祖青木昆陽(こんよう)の墓碑がある。境内にある独鈷滝(とっこのたき)を浴びる病気平癒祈願者も多かった。毎月8の日が縁日である。
[塩入良道]
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