目黒不動(読み)メグロフドウ

デジタル大辞泉 「目黒不動」の意味・読み・例文・類語

めぐろ‐ふどう【目黒不動】

滝泉寺りゅうせんじ通称

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精選版 日本国語大辞典 「目黒不動」の意味・読み・例文・類語

めぐろ‐ふどう【目黒不動】

  1. 東京都目黒区下目黒二丁目にある天台宗の寺、滝泉寺の通称。また、その本尊の不動明王像。江戸五色不動の第一で最もよく知られ、門前には粟餠・飴(あめ)などの店が多かった。境内独鈷(とっこ)の滝などがある。

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改訂新版 世界大百科事典 「目黒不動」の意味・わかりやすい解説

目黒不動 (めぐろふどう)

東京都目黒区にある天台宗の寺。正しくは泰叡山滝泉(りゆうせん)寺。808年(大同3)に,円仁が下野から比叡山に赴く途中,この地に宿って不動明王を夢見,その像を刻んで安置したのがはじまりと伝える。後に再びこの地を訪れ,独鈷(とつこ)を投げた所に泉がわき出たので,滝泉寺と名付けた。また,この不動像は,日本武尊の像であるともいい,秘仏として不動堂にまつられている。1615年(元和1)春に類焼して伽藍を失ったが,間もなく旧に復した。1624年(寛永1)に将軍徳川家光鷹狩を催したおり,逃げた愛鷹を当寺の住持祈禱によって探し出した。その功により徳川将軍家の保護を受けて寺観は整備され,不動信仰の霊場として繁栄した。目白(豊島区金乗院),目青(世田谷区教学院),目赤(文京区南谷寺),目黄(江戸川区最勝寺)とともに〈江戸五色不動〉の一つで,毎月8の日が不動尊の縁日としてにぎわい,滝の水を浴びて治病を祈るならわしがある。境内には青木昆陽の墓があり,10月28日にはその功績をしのんで,甘藷まつりが行われる。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「目黒不動」の意味・わかりやすい解説

目黒不動
めぐろふどう

東京都目黒区下目黒にある天台宗の寺。泰叡山(たいえいざん)滝泉寺(りゅうせんじ)の通称。808年(大同3)円仁(えんにん)が下野(しもつけ)国(栃木県)から比叡山(ひえいざん)に赴く途次、不動明王を安置したのが開創と伝え、入唐(にっとう)後に独鈷(とっこ)を投じて清泉を得たのが寺名のおこりという。1624年(寛永1)徳川家光(いえみつ)が鷹狩(たかがり)を縁に堂宇を造営、後西院(ごさいいん)天皇宸筆(しんぴつ)「不動明王」の勅額を下賜されて以来隆盛し、江戸五色(ごしき)不動の第一となり地名のおこりとなる。八百屋(やおや)お七にまつわる吉三(きちざ)の念仏堂や甘藷(かんしょ)栽培の祖青木昆陽(こんよう)の墓碑がある。境内にある独鈷滝(とっこのたき)を浴びる病気平癒祈願者も多かった。毎月8の日が縁日である。

[塩入良道]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「目黒不動」の意味・わかりやすい解説

目黒不動
めぐろふどう

東京都目黒区にある天台宗の寺,泰叡山滝泉寺 (りゅうせんじ) の俗称。大同3 (808) 年円仁の開創と伝える。徳川家光が深く帰依して諸堂宇を造営し以後隆盛した。

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百科事典マイペディア 「目黒不動」の意味・わかりやすい解説

目黒不動【めぐろふどう】

滝泉寺(りゅうせんじ)

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