日本大百科全書(ニッポニカ) 「直流送電」の意味・わかりやすい解説
直流送電
ちょくりゅうそうでん
電力系統を直流を用いて送電する方式をいう。一般の電力系統では三相交流を用いた三相交流送電が用いられている。三相交流とは原理的には交流回路(単相交流)を三つ組み合わせたもので、これを3本の電線で接続するようくふうされており、単相交流に比較すると電力の発生、輸送面で経済的となる。日本においては、明治20年代の電力系統発足当時は210ボルトの直流送電方式が用いられたが、系統の拡大とともに電力の発生、輸送面から有利な3000ボルト交流送電方式へと移行した。電力需要の増大とともに明治後半には66キロボルトが、大正時代には154キロボルトが導入され、1952年(昭和27)に275キロボルトが導入された。このころから発電所が用地事情や環境面の制約などから遠隔地に建設され、ここで発生する大電力を需要の中心地まで効率的に輸送させるため、187キロ~500キロボルトの超高圧交流送電へと移行してきている。一方、直流送電方式は交流送電では実現できない利点を有していることから、部分的に検討が進められ、一部の系統において採用されてきた。直流送電のおもな利点は次のとおりである。(1)送電線路の建設費が安価なこと。(2)周波数の異なる系統間の連系ができること。(3)短絡容量を増大しないで設備強化ができること。(4)長距離・大電力送電に適していること(送電端と受電端の同期運転の必要性がないことから安定度面で有利となる)。一方、欠点としては次のとおりである。(1)交流から直流へ、または直流から交流へ変換する装置が高価であること。(2)大型の直流遮断器の開発が必要なこと。(3)高周波障害対策が必要なこと。
直流送電の歴史は、日本では前述のように明治20年代の電力系統発足時にさかのぼるが、本格的に検討されたのは1940年代に高電圧水銀整流器が開発され、その後スイス、ドイツ、スウェーデンなどを中心に直流送電の試験設備がつくられ、実用化を目ざした研究が進められてからである。1954年に世界で初めて商業ベースとしてスウェーデン本土からゴトランド島への直流送電(2万キロワット、100キロボルト)が運転を開始し、1961年の英仏直流連系によって本格的な直流送電の実用化時代となった。その後日本でも長距離・大電力送電や海底ケーブル送電などを目的とした大容量・高電圧の直流送電設備が続々と運転を開始した。さらに技術的にも水銀整流器にかわるものとしてサイリスタ素子を用いた交直変換装置が実用化されている。おもなものとしては、50ヘルツ系と60ヘルツ系を連系するための佐久間(さくま)周波数変換所、新信濃(しんしなの)周波数変換所、東清水(ひがししみず)変換所、および海底ケーブルで連系するための北海道・本州間連系(北本連系線。北海道と本州間)、紀伊(きい)水道直流連系(四国と本州間)、電力の流れを制御するために設けられた南福光(みなみふくみつ)BTB(Back to Back=背中合わせの略。同一変電所内に2組の交直変換装置があり直流送電線が極端に短い)がある。
[内田直之]