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矢部定謙 やべ さだのり

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美術人名辞典の解説

矢部定謙

江戸後期の幕臣。通称は彦五郎。天保四年大坂町奉行となり、天保の大飢饉の際には大塩平八郎の意見を入れ、米価の調節や窮民の救済にあたった。のち勘定奉行を経て江戸町奉行となり天保の改革初期の市政を担当した。天保13年(1842)歿、54才。

出典|(株)思文閣
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

矢部定謙 やべ-さだのり

1789-1842 江戸時代後期の武士。
寛政元年生まれ。幕臣。天保(てんぽう)4年大坂西町奉行。天保の飢饉(ききん)に大塩平八郎の助言をえて窮民を救済するが,のち大塩から「奸佞(かんねい)」と告発された。12年江戸南町奉行となるが,老中水野忠邦と対立し8ヵ月で罷免された。処分を不服として断食し,天保13年7月24日死去。54歳。通称は彦五郎。駿河守(するがのかみ)。

出典|講談社
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朝日日本歴史人物事典の解説

矢部定謙

没年:天保13.7.24(1842.8.29)
生年:寛政1(1789)
江戸後期の幕臣。通称は彦五郎。左近将監,駿河守。父は定令。天保2(1831)年堺奉行,4年大坂西町奉行。大坂町奉行在任中は大塩平八郎と親交を結んだといわれるが,大塩は蜂起に当たり,矢部の不正を弾劾し,国を乱す「奸侫」と槍玉にあげた。7年勘定奉行,12年江戸南町奉行となる。株仲間解散令や江戸市中の改革をめぐり老中水野忠邦と対立,奉行所与力の不正事件と絡めた目付鳥居耀蔵の画策により在任8カ月で罷免された。取り調べ中に無実を知人に訴えたことを咎められ,桑名藩へ永預け,改易の処分を受けた。これに抗議し,絶食して死んだ。なお生没年は墓碑による。

(藤田覚)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

やべさだのり【矢部定謙】

1794‐1842(寛政6‐天保13)
江戸後期の旗本。左近将監,駿河守。堺奉行を経て1833年(天保4)大坂町奉行となり,天保の飢饉にさいして元与力大塩平八郎の意見をいれ,米価を調節し窮民の救済に当たり功績を挙げた。その後,庄内藩,長岡藩,川越藩の三方領知替の際には庄内領民の反対運動を取り上げて再審の上書を提出した。勘定奉行などを経て41年江戸南町奉行となるが,目付鳥居耀蔵(ようぞう)の暗躍により同年末失脚し,翌年矢部家は断絶,身柄は桑名藩預けとなったが,この処置に怒った定謙は食を断って憤死した。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
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