近世,堺に置かれた江戸幕府の遠国(おんごく)奉行の一つ。堺政所ともいう。織田信長は堺の町を屈伏させた後,松井友閑を政所に任じ,豊臣秀吉も石田三成ら腹心の吏僚を任じ,堺および河内,和泉の直轄地を支配させた。徳川家康もこの政策を継承し,1600年(慶長5)米津(よねきづ)親勝と成瀬正成を任じた。大坂を幕府直轄地とした17世紀前期には喜多見勝忠が摂河泉の奉行を兼ね,17世紀中期の石河(いしこ)勝正・利正父子は畿内の幕領支配に大きな権限を有する国奉行でもあり,支配国は和泉であった。しかし17世紀後期には堺の経済的地位の低下に伴い,堺奉行の当初有していた周辺農村の支配権は失われ,権限も縮小された。96年(元禄9)いったん廃止されたが,1702年に復活。22年(享保7)以降の権限は,堺および一部の寺社の公事(くじ)訴訟,和泉幕領の火付,盗賊,変死等の詮議,和泉一国の女手形の発行等だが,上級支配権は大坂町奉行にあった。老中支配。奉行は1名,1000石,役料600石,与力10騎,同心50人。
執筆者:菅原 憲二
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和泉(いずみ)国堺(大阪府堺市)に置かれた江戸幕府遠国(おんごく)奉行の一つ。老中(ろうじゅう)の支配下にあって、原則として知行高(ちぎょうだか)1000石以上3000石以下の旗本のなかから選任された。任期は定まらず、下僚として与力(よりき)10騎、同心50人がいた。1600年(慶長5)成瀬正成(なるせまさなり)、米津清右衛門(よねきつせいえもん)両人が堺政所(まんどころ)に補せられたのに始まる。定員は1名であるが、1696年(元禄9)に一時廃止され大坂町奉行が兼務したが、1702年に再置、以後幕末まで続いた。奉行屋敷は、車之町山口筋と殿馬場(とのばば)との間にあった。職務は堺南北両郷の一般民政のほか、廻米(かいまい)、消防、警察、糸割符(いとわっぷ)、株仲間(かぶなかま)、河川、寺社などを管掌した。あわせて当初には和泉一国をも支配した。
[藪田 貫]
江戸幕府の職名。遠国奉行の一つ。初期には堺政所と称した。堺の町政を行い,大坂町奉行とともに和泉一国の政務をとり,堺港に入る船舶・荷物も点検した。定員1人。開幕以前からおかれ,1696年(元禄9)に一時大坂町奉行の兼職となったが,1702年再設置。38年(元文3)に制定された役高は1000石,役料1500俵。老中支配,芙蓉間席で,従五位下。付属する与力ははじめ6騎のち10騎,同心ははじめ40人のち50人。
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