石原吉郎(読み)イシハラヨシロウ

デジタル大辞泉 「石原吉郎」の意味・読み・例文・類語

いしはら‐よしろう〔‐よしラウ〕【石原吉郎】

[1915~1977]詩人静岡の生まれ。終戦シベリア抑留生活を経て帰国したのち、詩誌「ロシナンテ」を創刊。「荒地詩集」に参加した。昭和38年(1963)刊行の「サンチョ・パンサ帰郷」でH氏賞受賞。ほかに、詩集「水準原点」「礼節」など。

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20世紀日本人名事典 「石原吉郎」の解説

石原 吉郎
イシハラ ヨシロウ

昭和期の詩人



生年
大正4(1915)年11月11日

没年
昭和52(1977)年11月13日

出生地
静岡県伊豆

学歴〔年〕
東京外国語学校ドイツ語部〔昭和13年〕卒

主な受賞名〔年〕
H氏賞(第14回)〔昭和39年〕「サンチョ・パンサの帰郷」,歴程賞(第11回)〔昭和48年〕「望郷と海」

経歴
大阪ガスに勤めるうち昭和14年に召集となり、やがて関東軍特務機関に配属されたが、召集解除後は満州電々調査局に徴用された。このため20年12月ソ連に抑留され、4年後に重労働25年の判決。このシベリア体験がのちに終生のテーマとなる。スターリン死後の28年12月に特赦で帰国し詩作を始める。雑誌「文章クラブ」に投稿して鮎川信夫に認められ、30年に好川誠一、勝野睦人らと同人誌「ロシナンテ」を創刊。39年「サンチョ・パンサの帰郷」でH氏賞受賞。他の詩集に「礼節」「水準原点」、エッセイ集に「望郷と海」「海を流れる河」などがあるほか、「石原吉郎全集」(全3巻 花神社)がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「石原吉郎」の意味・わかりやすい解説

石原吉郎
いしはらよしろう
(1915―1977)

詩人。静岡県伊豆に生まれる。東京外国語学校(現東京外国語大学)卒業。1939年(昭和14)応召。終戦の年、ソ連軍に抑留され、重労働25年の判決を受ける。53年(昭和28)特赦により帰還。詩作はこのころより始められ『ロシナンテ』を創刊。『荒地(あれち)』の最後期の同人で、64年『サンチョ・パンサの帰郷』(1963)によりH氏賞受賞。シベリア体験は生涯のモチーフとして生の基準点となった。またキリスト者としての思念は深く、その詩語はいっそう贅肉(ぜいにく)を落とし極限的、断言的フォルムへと削られていった。詩集に『水準原点』(1972)、『礼節』(1974)など。評論集に『日常への強制』(1970)、『望郷と海』(1972)、『断念の海から』(1976)などがあり、戦後詩に独自の深い航跡を残した。

[高橋世織]

『『石原吉郎全集』全3巻(1979~80・花神社)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「石原吉郎」の解説

石原吉郎 いしはら-よしろう

1915-1977 昭和時代後期の詩人。
大正4年11月11日生まれ。昭和14年応召,敗戦でシベリアに抑留され,28年帰国。鮎川(あゆかわ)信夫らにみとめられ,30年「ロシナンテ」を創刊。39年抑留体験に材をえた「サンチョ・パンサの帰郷」でH氏賞。48年エッセイ「望郷と海」で藤村記念歴程賞。昭和52年11月13日死去。62歳。静岡県出身。東京外国語学校(現東京外大)卒。
格言など】痛みはその生に固有なものである 死がその生に固有なものであるように(「北条」)

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367日誕生日大事典 「石原吉郎」の解説

石原 吉郎 (いしはら よしろう)

生年月日:1915年11月11日
昭和時代の詩人
1977年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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