デジタル大辞泉
「石原正明」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
いしはら‐まさあきら【石原正明】
- 江戸中期の国学者、歌人。号蓬堂。尾張の人。本居宣長、塙保己一に学び、「群書類従」の編纂に従事。有職故実に通じる。著に「制度通考」「年々随筆」「尾張迺家苞(おわりのいえづと)」など。宝暦九~文政四年(一七五九‐一八二一)
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
石原正明
没年:文政4.1.7(1821.2.9)
生年:宝暦10(1760)
江戸後期の国学者,有職故実家。初名は将聴。通称は喜左衛門,文内。蓬堂と号した。生年に異説あり。尾張国海東郡神守村(津島市)の農家に生まれたが,家業を好まず,河村秀根,神村正鄰,稲葉通邦らと共に『令義解』の研究に励んだ。有職の学に精通し,『冠位通考』『制度通考』などを著す。寛政4(1792)年本居宣長に入門したが,しばしば師の説を批判して尾張の門下で異彩を放った。特に『新古今集』の注釈書『尾張廼家苞』は宣長の『美濃廼家苞』に反対の説を立てたもので,正明の面目躍如たるものがあり,まさに「師の説なりとてかならずなづみ守るべきにもあらず」という宣長の教え(『玉勝間』の言葉)を実践しているといえよう。寛政末年に江戸に出て塙保己一に従い,その信頼を得,温故堂学頭として『群書類従』『類聚国史』の編纂校訂に尽力した。『年々随筆』『江戸職人歌合』などの著がある。<参考文献>森銑三「石原正明」(『森銑三著作集』7巻)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
石原正明 (いしはらまさあきら)
生没年:?-1821(文政4)
江戸後期の国学者。尾張国海部郡の人。通称喜左衛門,号は蓬堂。1792年(寛政4)名古屋に出講した本居宣長に入門したが,のち江戸に出て塙保己一に師事,その塾頭となって《群書類従》の編纂を助け,和学講談所の運営にも加わった。その学は博覧卓見とくに有職故実に精通し,《冠位通考》などを著したが,和歌にも一見識を持ち,師の宣長の《美濃の家苞(いえづと)》を駁(ばく)した《尾張の家苞》は有名。
執筆者:南 啓治
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
石原正明 いしはら-まさあきら
1760-1821 江戸時代後期の国学者。
宝暦10年生まれ。寛政4年本居宣長(もとおり-のりなが)に入門。のち塙保己一(はなわ-ほきいち)に師事し,和学講談所の塾頭となり,「群書類従」の編集校訂に参加。有職(ゆうそく)故実と歌学にすぐれ,「新古今尾張廼家苞(おわりのいえづと)」で宣長の説を批判した。文政4年1月7日死去。62歳。尾張(愛知県)出身。通称は喜左衛門。号は蓬堂。著作はほかに「冠位通考」など。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
石原正明
いしはらまさあきら
[生]宝暦10(1760).尾張
[没]文政4(1821).1.6. 名古屋
江戸時代後期の国学者。本居宣長,塙保己一に学ぶ。『群書類従』の編纂に参与。著書『尾張の家づと』『年々随筆』。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
石原正明 (いしはらまさあきら)
生年月日:1764年2月6日
江戸時代後期の国学者;有職故実家
1821年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報