日本大百科全書(ニッポニカ) 「石子順造」の意味・わかりやすい解説
石子順造
いしこじゅんぞう
(1928―1977)
美術評論家。東京生まれ。本名木村泰典(やすのり)。1953年(昭和28)東京大学経済学部卒業。57年まで同大学院ならびに文学部美術史学科で学ぶ。57年、評論社編集部に入社。58年、静岡県清水市(現静岡市)の物流会社に入社し、64年退社。翌65年東京に戻り、評論家として活動。静岡時代の58年に、石子を慕って集まった清水市近在の美術家たちとグループ「白」を結成。さらに静岡市在住のグループ「蝕」メンバーが加入し、66年にグループ「幻蝕」の活動が始まり、71年の解散までメンバーを増やしながら、積極的な美術運動を行った。
この間「幻蝕」は10回以上の展覧会を開いた。企画展としては、中原佑介と共同企画の「トリックス・アンド・ビジョン 盗まれた眼」展(1968、東京画廊・村松画廊、東京)がある。同展は、1960年代にジャンルを越えて展開された前衛運動のアナーキーな時代の終焉を印象づけ、「もの派」の誕生を促し、日本の現代美術史上重要な展覧会となった。
石子は、絵画の場合だけでなく、美術館や審査制などを含めた全体を「見ること」の制度として捉え、その延長線に60年代の前衛のオブジェの思想やハプニングの可能性を位置づけた。その考察は著書『表現における近代の呪縛』(1970)に結実する。
これら「見ることの近代主義」の限界を批判的に考察するために、前近代的な庶民の感覚である土着や俗悪、キッチュという位相から「近代」という制度を検討した。また、静岡時代から鶴見俊輔(つるみしゅんすけ)の『限界芸術論』(1967)を愛読し、民俗学的見地と重ねて思考を深めていた。それらの大衆文化=庶民の美意識の研究については、著書『マンガ芸術論』(1967)、『現代マンガの思想』(1970)、『俗悪の思想』(1971)、『小絵馬図譜』(1972)、『キッチュの聖と俗』(1974)に反映されている。石子の全方位的思考は、美術や演劇の批評からイラストや漫画、グラフィック・デザインまで興味範囲を広げていた。中心のテーマは「表現における近代」の解明であったが、早逝によって、その業績は全体像をみせぬまま途切れた。その歴史的位置づけは、著作の掘り起こしを含め、美術界の課題となっている。
[高島直之]
『『表現における近代の呪縛』(1970・川島書店)』▽『『現代マンガの思想』(1970・太平出版社)』▽『『俗悪の思想――日本的庶民の美意識』(1971・太平出版社)』▽『『小絵馬図譜――封じこめられた民衆の祈り』(1972・芳賀書店)』▽『『キッチュの聖と俗――続・日本的庶民の美意識』(1974・太平出版社)』▽『『石子順造著作集 第1巻 キッチュ論』『石子順造著作集 第2巻 イメージ論』『石子順造著作集 第3巻 コミック論』(1986、1987、1988・喇嘛舎)』▽『『マンガ芸術論――現代日本人のセンスとユーモアの功罪』(富士新書)』▽『鶴見俊輔著『限界芸術論』(ちくま学芸文庫)』