石山村(読み)いしやまむら

日本歴史地名大系 「石山村」の解説

石山村
いしやまむら

[現在地名]高城町石山

穂満坊ほまんぼう村の北に位置し、西端を大淀川が北流する。同村から北の有水ありみず村に向けて高岡たかおか往還が通る。江戸時代は鹿児島藩領で、高城郷に所属(「三州御治世要覧」など)中世石山城跡がある。建武四年(一三三七)正月一〇日の建部清種軍忠状(池端文書)によれば、同三年一二月一八日北朝方の日向国大将畠山直顕は将軍家の家領であった島津庄日向方の確保のため、三俣みまた院に基盤をおく南朝方の肝付兼重の城(高城であろう)を攻め、翌四年一月一〇日に兼重の与党の籠る「石山城」を落城させた。この時の直顕の軍勢には大隅の禰寝氏一族のほか土持重綱らが加わっていた(建武四年三月一五日「土持重綱見知状」同文書、暦応四年七月二三日「畠山直顕注進状写」禰寝文書)。なお石山村の堂領どうりよう門の後代の伝承によれば、建武三年に北朝方から派遣された畠山直顕とともに肝付兼重討伐に三俣院に下向した土肥実重の一族は土着して福王寺姓を名乗り、実重から四代の重尚が石山村の長田ながたに移って永田氏を名乗った。


石山村
いしやまむら

[現在地名]江刺市田原たはら

土谷つちや村の南に位置し、北上高地の西端丘陵に立地。北部を伊手いで川が南西流し、両岸に狭長な平地が開けている。「正法年譜住山記」永徳二年(一三八二)の条に「葛西平清泰石山ニテ三千苅寄進」とみえ、当時江刺郡を領していた葛西清澄(江刺氏祖ともいわれる)が、当地内三千刈を正法しようぼう(現水沢市)に寄進している。

寛永一九年(一六四二)の石山村検地帳(県立図書館蔵)によれば田方三二町五反余・代二八貫二二一文、畑方三二町八反余・代九貫六一文、茶畑三反余・代九六五文。


石山村
いしやまむら

[現在地名]大飯町石山

佐分利さぶり川を隔てて佐畑さばた村の南にある。佐分利谷全域が見渡せる絶好の地であり、笠原かさわら(現高浜町)から坂本さかもと(現遠敷郡名田庄村)へ抜ける街道(鯖街道)が佐分利街道と交差する交通の要所である。「若狭郡県志」に「石山村属佐分利郷、去小浜五里許也、合民安、杉谷、中条等而為石山村」とある。村名は天正一六年(一五八八)二月一六日付の浅野長政家臣小笠原与十郎の寄進状(浄土寺文書)にみえ、天正二〇年九月一三日付の同寄進状(同文書)には「其村之山手米儀、合壱石弐斗八升之内壱斗者、浄土寺へ為月忌米令寄進候条、名々可有其心得候」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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