石本鏆太郎(読み)イシモト カンタロウ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「石本鏆太郎」の解説

石本 鏆太郎
イシモト カンタロウ


肩書
衆院議員(憲政会)

生年月日
元治1年4月4日(1864年)

出生地
土佐国長岡郡岡豊村(高知県南国市)

学歴
東京帝国大学予備門

経歴
上海でフランス語・中国語を学び、日清・日露戦争通訳として従軍。台湾総督府専売局翻訳官、関東州民政署勤務を経て、明治40年阿片販売の特許を取得、巨万の利を得た。以後満州炭坑、銀行、油房、製紙など幅広く事業を展開、大連高等女学校や奉天日日新聞なども経営し、大連市長も務めた。大正4年衆院議員に当選、2期務めた。弟の権四郎らと満蒙独立運動に取り組み、私財を運動に投じた。32年権四郎が満州で遭難すると没地である熱河に赴いたが、健康を害して大連で没した。

没年月日
昭和8年12月30日

家族
弟=石本 権四郎(満蒙独立運動の志士)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「石本鏆太郎」の解説

石本 鏆太郎
イシモト カンタロウ

明治〜昭和期の実業家 衆院議員(憲政会)。



生年
元治1年4月4日(1864年)

没年
昭和8(1933)年12月30日

出生地
土佐国長岡郡岡豊村(高知県南国市)

学歴〔年〕
東京帝国大学予備門

経歴
上海でフランス語・中国語を学び、日清・日露戦争に通訳として従軍。台湾総督府専売局翻訳官、関東州民政署勤務を経て、明治40年阿片販売の特許を取得、巨万の利を得た。以後、満州で炭坑、銀行、油房、製紙など幅広く事業を展開、大連高等女学校や奉天日日新聞なども経営し、大連市長も務めた。大正4年衆院議員に当選、2期務めた。弟の権四郎らと満蒙独立運動に取り組み、私財を運動に投じた。32年権四郎が満州で遭難すると没地である熱河に赴いたが、健康を害して大連で没した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「石本鏆太郎」の解説

石本鏆太郎 いしもと-かんたろう

1864-1933 明治-昭和時代前期の実業家。
元治(げんじ)元年4月4日生まれ。石本権四郎(ごんしろう)の兄。清(しん)(中国)にわたり,日清・日露戦争に通訳として従軍。戦後,関東州でアヘンを製造販売し巨利をえて,炭坑,銀行,学校,新聞社などを経営,大連市長となる。大正4年衆議院議員(当選2回,憲政会)。昭和8年12月30日死去。70歳。土佐(高知県)出身

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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