江戸時代,幕府が設置した最も重要な関所の一つで,中山道の碓氷峠東麓(現,群馬県安中市)にあった。同地近辺には899年(昌泰2)すでに関所が設置されており,鎌倉時代にも設置されたが,1590年(天正18)改めて徳川家康の命で碓氷峠に設けられ,江戸時代を通じて安中藩が所管した。1623年(元和9)横川村へ移転したため横川関所とも称したが,1710年(宝永7)名称を碓氷関所に統一した。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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…峠頂上には峠の茶屋ができ,熊野皇太神社の鳥居前町である峠町(現地籍は松井田町と軽井沢町に分かれる)が形成されて,交通がしげくなるとともに〈間(あい)の宿〉としてにぎわった。碓氷関は899年(昌泰2)横川(現,松井田町)に置かれたのが古いが,中山道の関所としては1590年(天正18)碓氷峠に設けられ,1623年(元和9)横川に移された。 1886年中山道は,これまでの道の南に新碓氷峠越えの道(現,国道18号線)が完成し,信越本線開通後は重要度を減じたが,第2次大戦後は交通車両の増加で完全舗装された。…
…三関は789年(延暦8)7月停廃され,それに伴い他の関の勘過機能も消滅していったが,それ以後も重大事発生の際は三関の固関は行われ,また特に辺境の軍事的関は存続したようである。それとともに強盗をなす僦馬(しゆうば)の党の取締りのために,899年(昌泰2)相模国足柄(あしがら)関,上野国碓氷(うすい)関を置いたように,特定の事件,状況に対する治安維持策として軍事的機能をもつ関の新設がなされたが,一般的な交通制限は行われず,全体として古代の関の制度は形骸化していった。【館野 和己】
[中世]
令制下の古代の関や江戸幕府による近世の関所はいずれも軍事警察上の必要から設置された。…
※「碓氷関」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...
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