碓氷峠(読み)ウスイトウゲ

デジタル大辞泉 「碓氷峠」の意味・読み・例文・類語

うすい‐とうげ〔うすひたうげ〕【碓氷峠】

群馬県安中市と長野県北佐久郡軽井沢町との境にある峠。標高956メートル。古くから中山道の難所として知られる。

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精選版 日本国語大辞典 「碓氷峠」の意味・読み・例文・類語

うすい‐とうげうすひたうげ【碓氷峠】

  1. 群馬県と長野県の境にある峠。足柄峠、箱根峠とならぶ関東地方西部の自然境界。旧道の峠は中山道第一の険所として知られ、東すそに関所があった。標高九五六メートル。碓日嶺。碓氷坂。碓日坂。碓井坂。笛吹峠。うすい。

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日本歴史地名大系 「碓氷峠」の解説

碓氷峠
うすいとうげ

軽井沢かるいざわ町と群馬県碓氷郡松井田まついだ町との境にある峠。「碓日」(「日本書紀」景行天皇四〇年)・「碓氷」(類聚三代格)・「臼居」(園太暦)・「臼井」(参考源平盛衰記)・「笛吹」(参考太平記)等と異記されるが、呼称は「万葉集」の東歌などの「宇須比」と、古来より一貫してウスヒである。用字は概して古代には碓氷・碓日、中世には臼井・臼居・笛吹が使われ、近世以後になって碓氷に一定している。なお古代においては碓氷坂・碓日坂で、峠と記されていない。東山道の美濃国と信濃国の国境の信濃しなの坂が、「ちはやぶる神の御坂」(「万葉集」巻二〇、神人部人忍男)であったように、碓氷も文献上では明らかでないが、上野国と信濃国の国境の御坂みさかと呼称されたのであろう。峠の呼称は、正応五年(一二九二)熊野皇太神社に奉納された銅鐘(現軽井沢町峠、熊野皇太神社蔵)に刻出された「奉施入 臼井到下 今熊野 大鐘事」が初見。

碓氷峠には道筋に三回の変化があり、古代から中世初期の碓氷坂、中世から近世中山道時代の旧碓氷峠、そして明治一六年(一八八三)末に開通した国道碓氷峠(現国道一八号)がそれである。昭和三〇年(一九五五)現軽井沢町境新田さかいしんでんと現群馬県碓氷郡松井田町入山いりやまとの境の入山峠(一〇三八メートル)の鞍部で多数の石製模造祭器が発見されて以来、この地点が原初の碓氷坂であることが明らかになった。ここは旧碓氷峠の南方約七キロの地点にある。横川よこかわ(現松井田町)から、入山川の渓谷沿いに坂道を登りつめて峠に立つと、忽然と開けた信濃の国原の真正面に浅間山(二五四二メートル)がそそり立つ。


碓氷峠
うすいとうげ

松井田町と長野県北佐久きたさく軽井沢かるいざわ町にまたがる峠。現在は碓氷川上流中尾なかお川水源近くの、国道一八号と信越本線碓氷トンネルが通る峠をいう。標高九五七・七メートル。一帯は上信越高原国立公園に含まれる。古代には上野・信濃を結ぶ官道は東山道であった。この頃は現碓氷峠南方の入山いりやま(一〇三八メートル)を越えたといわれ、峠近くで祭器と考えられる多数の石製模造品が発見されたことがこの説を補強している。入山峠は遠入とおいり川の上流部にあたり、「日本書紀」景行天皇四〇年の記事に日本武尊が弟橘媛をしのんで、「碓日嶺に登りて、東南をおせりて三たび歎きて曰はく、「吾嬬はや」とのたまふ」とあるように眺望にすぐれている。「万葉集」巻一四に上野国歌として次の歌が載る。

<資料は省略されています>

同書巻二〇には

<資料は省略されています>

と詠まれており、防人たちにとっては別離の場所でもあった。昌泰二年(八九九)九月一九日付太政官符(類聚三代格)には上野国碓氷坂に関所が設置されたことがみえ、天慶三年(九四〇)四月六日には碓氷関使が停止されている(貞信公記)。この関は東山道碓氷坂に設置されたものと考えられる(→碓氷関所跡。碓氷坂は「五代集歌枕」「八雲御抄」にあげられる。また前掲「日本書紀」の記事をめぐっては、「古事記」が「あづまはや」の嘆きの場所を相模足柄あしがらとすることから、日本武尊東征の順路が記紀で異なることとも関連して、「古事記伝」でもいずれの地であるかが取り沙汰されている。なお、碓氷の表記はほかに碓日・臼井・臼居などあるが、よみは「うすい」で一貫していた。

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改訂新版 世界大百科事典 「碓氷峠」の意味・わかりやすい解説

碓氷峠 (うすいとうげ)

群馬県安中市と長野県北佐久郡軽井沢町との境にある峠。標高958m。峠の東麓の坂本(安中市)は標高約500mで,峠までの直線距離約6kmの間は450mを登る難所だが,峠の西側は平たんな高原となっている。

 古く《日本書紀》に,日本武尊が東国から信濃に入る時〈碓日坂(うすひのさか)〉にいたり,〈碓日嶺〉に登って弟橘媛をしのび,〈吾嬬(あづま)はや〉といったという伝説が載る。《万葉集》巻十四に〈日の暮に碓氷の山を越ゆる日はせなのが袖もさやにふらしつ〉があり,巻二十にも坂を越える歌がある。この碓氷坂は畿内と東国を結ぶ古代東山道の要衝であったが,碓氷峠の南の入山峠をさすといわれる。なお峠の呼称は,碓氷峠にある熊野皇太神社の正応5年(1292)銘銅鐘に〈臼井到下(うすいとうげ)〉とあるのが早い。1602年(慶長7)に坂本から北側の尾根伝いに峠へ出,軽井沢に抜ける道が正式に中山道に制定され,峠をはさんで坂本宿,軽井沢宿が設置された。峠頂上には峠の茶屋ができ,熊野皇太神社の鳥居前町である峠町(現地籍は安中市と軽井沢町に分かれる)が形成されて,交通がしげくなるとともに〈間(あい)の宿〉としてにぎわった。碓氷関は899年(昌泰2)横川(同市)に置かれたのが古いが,中山道の関所としては1590年(天正18)碓氷峠に設けられ,1623年(元和9)横川に移された。

 1886年中山道は,これまでの道の南に新碓氷峠越えの道(現,国道18号線)が完成し,信越本線開通後は重要度を減じたが,第2次大戦後は交通車両の増加で完全舗装された。しかし急こう配,急カーブの難所であるため,1971年に碓氷バイパスが峠の南3kmの地点に開通し,峠越えの車は急減した。1893年開通の信越本線は,碓氷越えの横川~軽井沢間に長短26のトンネルがあり,急こう配でアプト式軌条が用いられていたが,1963年複線電化され,アプト式は廃止された。97年10月には長野新幹線が碓氷峠の南を迂回して通じ,第三セクターのしなの鉄道が軽井沢から篠ノ井へ通じて,碓氷峠越えの鉄道は廃止され,横川~軽井沢間はバス路線となった。なおこの峠は方言の境にあたり,推量の助動詞〈だろう〉を群馬県側では〈べ〉,長野県側では〈ず〉というため,〈鳴くべ鳴かずの峠〉ともいわれた。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「碓氷峠」の意味・わかりやすい解説

碓氷峠
うすいとうげ

群馬県安中市(あんなかし)松井田町(まついだまち)地区と長野県北佐久(きたさく)郡軽井沢町(かるいざわまち)との境界をなす峠。新旧の峠があり、旧碓氷峠は、中山道(なかせんどう)第一の天険として、東海道の箱根峠と並び称せられた。『日本書紀』に碓日坂(うすひのさか)、『万葉集』に「宇須比」坂と記載されて、当時から関東平野と中央高地をつなぐ重要な峠であった。東麓(とうろく)の坂本は標高502メートルなので、比高約450メートルを、8キロメートル登って峠となり、峠の西は平坦(へいたん)な高原となる。中山道には新旧があり、旧道は横川(よこかわ)、坂本から北方を回り、峠町(とうげまち)地区から旧軽井沢に通じた道路で、横川に安中藩が守った碓氷関、坂本に宿駅が置かれた。新道は1883年(明治16)その南方につくられた道路で、1893年新道の北に信越本線が開通し、横川―軽井沢間11.2キロメートルが66.7‰(パーミル)の急勾配(こうばい)のため、わが国では珍しいアプト式軌道によった。しかし、これは1963年(昭和38)に廃止となり、普通方式の軌道が敷設された。その後、1997年(平成9)の長野新幹線開業に伴い、信越本線の横川―軽井沢間は廃止、バス輸送に転換された。新道は国道18号となり、完全舗装の道路であるが、カーブが多く、自動車の交通量がきわめて多いので、1971年その南方に碓氷バイパス道路が開通した。峠は新緑、紅葉ともに美しく、旧道はハイキングによく、碓氷関所跡や峠町の熊野神社を訪れる者も多い。また、碓氷峠鉄道施設のうち、トンネルや橋、旧駅などが国の重要文化財に指定されている。

[村木定雄]


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百科事典マイペディア 「碓氷峠」の意味・わかりやすい解説

碓氷峠【うすいとうげ】

群馬・長野県境の峠。旧中山道は標高1190mの地点に通じる。《日本書紀》に日本武尊が越えた碓日坂として登場し,《万葉集》には宇須比乃佐可とみえる。889年には群盗を取り締るために碓氷関が設置されている。道中第1の天険で,関東へはいる要衝として安中藩が固めた。信越本線横川駅の西に関所跡がある。1883年新道(現国道18号)が南3kmの標高956m地点に通じた。1893年開通以来のアプト式の区間で,1912年には日本で初めて電化され,電気機関車が走ったが,アプト式は1963年廃止,複線化も完成した。1997年開通の北陸新幹線(長野新幹線)は碓氷峠トンネル(6100m)で通過する。
→関連項目安中[市]松井田[町]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「碓氷峠」の意味・わかりやすい解説

碓氷峠
うすいとうげ

群馬県西部,安中市と長野県軽井沢町との境の峠。古来中山道第1の天険といわれ,関東地方に入る要地として,東海道の箱根峠と並び称せられた。旧道は旧軽井沢から標高 1336mの峠を経て,坂本の宿駅,横川の碓氷関所に達した。 1883年旧道の南 3km,標高 956mの地点を通る道路が開け,これが改修されて現在の国道 18号線となった。次いで 1893年には,国道 18号線に近接して信越本線が横川-軽井沢間に通じ,日本最大勾配の路線区間として知られたが,1997年北陸新幹線の開通に伴い,廃線となった。峠の東側は急傾斜地が多く交通の難所であったが,1971年に横川から南へ分かれ,軽井沢の南へ出る碓氷バイパスが完成し,自動車交通は容易になった。

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世界大百科事典(旧版)内の碓氷峠の言及

【峠】より

…箱根火山を越える峠は他に乙女峠(1005m),湯河原峠などいくつかあり,それぞれ東海道の裏街道(国道138号線)や間道が通過する。群馬県側から長野県の軽井沢へ越える中山道(国道18号線)の現在の碓氷峠(958m)は1885年に通じたが,古いものはその北にある峠集落の処(ところ)(1180m)と南の入山峠(1020m)とに通じていた。入山峠はその後一時廃れたが最近になって自動車専用の碓氷バイパスが通じて復活した。…

※「碓氷峠」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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