《古事記》《日本書紀》《万葉集》に伝えられる仁徳天皇の皇后。葛城襲津彦(かつらぎのそつびこ)の娘で武内宿禰(たけうちのすくね)の孫にあたり,皇族外の身分から皇后となった初例とされる。ひどく嫉妬ぶかい女性として語られ,天皇の召し使う女たちは皇后を恐れて宮廷への出入りもかなわず,目だった言動でもあると〈足もあがかに(じだんだふんで)〉嫉妬したという。仁徳天皇には妻妾が多くいて,そのひとりの吉備(きび)の黒媛は皇后をはばかり吉備へ船で逃げ帰ろうとするが,それに天皇が歌を贈ったのを聞き激怒した磐之媛は,黒媛を船より追いおろし徒歩で国へむかわせたとも語られている。記紀の磐之媛譚は皇后(嫡妻)の権威を嫉妬で示した伝承的女性像というべく,《万葉集》巻二の〈磐姫皇后,天皇を思ひて作らす歌四首〉は,そうした伝承をうけて仮託した作である。そこでは激しい性情に代わって纏綿とした恋の心が歌われており,なかでもつぎの作は秀歌といえる。〈秋の田の穂の上(へ)に霧らふ朝霞いつへの方に我が恋やまむ〉。
執筆者:阪下 圭八
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
武内宿禰(たけのうちのすくね)の子葛城襲津彦(かつらぎのそつひこ)の娘で、仁徳(にんとく)天皇の皇后。履中(りちゅう)、反正(はんぜい)、允恭(いんぎょう)3天皇の母。「石之日売」(『古事記』)、「磐姫」(『万葉集』)とも記す。嫉妬(しっと)深い性格で、八田皇女(やたのひめみこ)や吉備黒日売(きびのくろひめ)を宮中に召し入れることに反対し天皇を困惑させた話と歌謡が記紀に伝えられている。仁徳35年6月筒城宮(つつきのみや)で没。『万葉集』巻2に「磐姫皇后、天皇を思ひて作らす歌四首」があるが、夫の帰りを待つ貞淑な妻の心を詠む連作的構成や歌風からみて、藤原宮時代か奈良時代の伝誦歌(でんしょうか)が皇后に仮託されたものと考えられる。
[稲岡耕二]
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