反正天皇(読み)ハンゼイテンノウ

デジタル大辞泉 「反正天皇」の意味・読み・例文・類語

はんぜい‐てんのう〔‐テンワウ〕【反正天皇】

記紀で、第18代の天皇仁徳天皇の第3皇子。名は多遅比瑞歯別たじひのみずはわけ倭の五王一人、珍に比定する説がある。

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精選版 日本国語大辞典 「反正天皇」の意味・読み・例文・類語

はんぜい‐てんのう‥テンワウ【反正天皇】

  1. 第一八代天皇。仁徳天皇の第三皇子。名は多遅比瑞歯別(たじひのみずはわけ)在位は五世紀前半頃と伝承される。母は皇后磐之媛命宋書に見える倭の五王の一人「珍」に比定される。(三三六‐四一〇

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「反正天皇」の意味・わかりやすい解説

反正天皇
はんぜいてんのう

第18代に数えられる天皇。名はタジヒノミズハワケノミコト。仁徳天皇の第3皇子。母は皇后イワノヒメノミコト。伝によれば兄の履中天皇太子のときに仁徳天皇が没し,住吉仲皇子(すみのえのなかつみこ)の乱が起こると,これを平定した。履中天皇の没後即位し,河内の丹比柴籬宮(たじひのしばがきのみや)に都した。日本最古の金石文といわれる,熊本県和水町の江田船山古墳出土の銀象嵌銘大刀に「治天下□□□□歯大王世」とあるのは,反正天皇のこととする説もあった。438年に文帝に遣使した倭の五王の一人「珍」(または「弥」)をこの天皇に比定する説が有力である。陵墓は反正天皇陵,田出井山古墳とも呼ばれる,大阪府堺市百舌鳥にある百舌鳥耳原北陵(もずのみみはらのきたのみささぎ)で,2019年世界遺産の文化遺産に登録。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「反正天皇」の意味・わかりやすい解説

反正天皇
はんぜいてんのう

生没年不詳。記紀では第18代の天皇とする。5世紀中葉の天皇で、『日本書紀』には、河内(かわち)の丹比柴籬宮(たじひのしばかきのみや)(大阪府羽曳野(はびきの)市丹比付近か)で在位5年にして崩ずと記す。「多遅比瑞歯別(たじひのみずはわけ)(水歯別)天皇(命(みこと))」ともいう。仁徳(にんとく)天皇と磐之媛(いわのひめ)の間に生まれたと伝える。『宋書(そうじょ)』にみえる倭(わ)王珍(ちん)は反正天皇とみなす説がある。また熊本県和水(なごみ)町江田船山(えたふなやま)古墳出土の大刀(たち)銘文にある大王を反正天皇とする解釈もある。この天皇の誕生をめぐる説話は、『日本書紀』および『新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)』(右京神別)に記載されており、墓は百舌鳥耳原(もずみみはら)陵(大阪府堺(さかい)市)とする。

上田正昭

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百科事典マイペディア 「反正天皇」の意味・わかりやすい解説

反正天皇【はんぜいてんのう】

5世紀前半の在位。仁徳天皇皇子。名はタジヒノミズハワケ。河内(かわち)の丹比柴籬(たじひのしばがき)宮を宮居とした。《宋書》倭国伝の(わ)王珍(ちん)にあてるのが定説。近年熊本県江田船山古墳出土大刀の銘文を〈ワカタケル大王〉と読むことが明らかとなった。→倭の五王獲加多支鹵大王

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「反正天皇」の解説

反正天皇 はんぜいてんのう

記・紀系譜による第18代天皇。在位は5世紀前半。
父は仁徳天皇。母は磐之媛命(いわのひめのみこと)。「日本書紀」によると,履中天皇の同母弟で,淡路(あわじ)島で生まれた。都は丹比(たじひ)の柴籬(しばかきの)宮。「宋書」倭国伝にみえる倭王の珍とする説がある。反正天皇5年1月23日死去。60歳(「古事記」)。墓所は百舌鳥耳原北陵(もずのみみはらのきたのみささぎ)(大阪府堺市)。別名は瑞歯別天皇(みつはわけのすめらみこと),多遅比(たじひの)瑞歯別皇子。

反正天皇 はんしょうてんのう

はんぜいてんのう

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「反正天皇」の解説

反正天皇
はんぜいてんのう

記紀系譜上の第18代天皇。5世紀前半頃の在位という。多遅比瑞歯別(たじひのみずはわけ)天皇と称する。父は仁徳天皇,母は皇后磐之媛(いわのひめ)。履中天皇の同母弟。河内の丹比(たじひ)に柴籬(しばがき)宮を営んだ。「宋書」倭国伝にみえる倭王珍(ちん)は,名前の瑞が転訛したとする説がある。葬られた百舌鳥耳原北(もずのみみはらのきた)陵は,大阪府堺市の田出井山古墳にあてられているが,誉田山(こんだやま)古墳(応神陵)に求める説もある。

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旺文社日本史事典 三訂版 「反正天皇」の解説

反正天皇
はんぜいてんのう

生没年不詳
5世紀中ごろの天皇
仁徳天皇の皇子。『宋書』倭国伝にみえる倭の五王の一人「珍 (ちん) (彌 (み) )」は仁徳・反正天皇にあてる2説がある。

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世界大百科事典(旧版)内の反正天皇の言及

【江田船山古墳】より

…銀象嵌銘の大刀がどちらにはいるかは不明。銘文の解読の基礎は福山敏男が1934年につくり,最初の部分を〈治天下□□□歯大王世□□〉と読んで,蝮(たじひの)宮に天の下治(しろし)めす弥都歯(みずは)大王,すなわち反正天皇にあてた。この福山説にしたがって,大刀を438年ころの製作と考えるのが定説であったが,78年に埼玉(さきたま)稲荷山古墳出土の鉄剣に金象嵌銘が発見されたとき,岸俊男らの解読の際に再検討が加えられ,これはむしろ稲荷山銘と同じく獲加多支鹵(ワカタケル)と読めることが示され,雄略天皇の時代の製作とみる説が有力になった。…

【住吉仲皇子】より

…難波宮を焼き同母兄の履中天皇殺害を謀るが,天皇は物部大前宿禰,漢直阿知使主(あやのあたいあちのおみ)らに助けられ大和の石上(いそのかみ)神宮に入る。一方,皇子は瑞歯別皇子(みずはわけのみこ)(後の反正天皇)に指嗾(しそう)された隼人(はやと)の刺領布(さしひれ)に刺殺される。《日本書紀》は謀叛の原因に皇子が天皇の婚約者,羽田矢代宿禰(はたのやしろのすくね)の娘の黒媛を姦したことをあげる。…

※「反正天皇」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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