神島村(読み)かしまむら

日本歴史地名大系 「神島村」の解説

神島村
かしまむら

[現在地名]福山市西神島にしかしま

山手やまて村の南に位置し、南は佐波さばおよび草戸くさど、西は佐波の各村と接する。東は元和(一六一五―二四)頃まで海であったという(福山志料)。「万葉集」巻一三に「備後国の神島の浜にして調使首屍を見て作る歌」があり、巻一五の遣新羅使一行の歌のなかに

<資料は省略されています>

と詠まれる。奈良時代から瀬戸内海上交通の港であったと推測され、中世草戸千軒くさどせんげん町衰退後は福山湾岸の市場町として、当時備後の物産であった畳表・姫荒苧・米・雑穀などの市が立って神島市とよばれていた。

神島村
かみしまむら

[現在地名]鳥羽市神島町

伊勢湾口にある神島で一村をなす。神島からは鳥羽に一六キロ、伊良湖いらご(現愛知県渥美町)に四キロであるが古来志摩国答志とうし郡に属した。「神宮雑例集」の神堺には歌嶋かじま、「志陽略誌」には「斯島形象似甕故俗称甕島」とあり、「神領記」(神宮文庫蔵)亀島と記される。伊良湖水道は潮流が激しく、神島の周辺は暗礁の多い難所であるためか流人の地となり、志摩八丈とも称され、伊雑いぞう(現志摩郡磯部町)の神人たちが九鬼守隆によってこの島に配流された。神領であったが北畠氏が伊勢国司となるや横領された(鳥羽誌)

近世は鳥羽藩領で、享保一一年(一七二六)村差出帳(徳川林政史蔵)によると、高一〇・六六石とあるが、これは元来無反別であり、そのうち五・六六石は年貢なし、五石は浦役高として寛文四年(一六六四)から定引とあるから、無高であった。

神島村
かみじまむら

[現在地名]砺波市神島

鷹栖出たかのすで村の南にある。当地の真宗大谷派円光えんこう寺の寺伝によると、越後国藤田ふじた庄の庄司を先祖とする藤田張正(貞信ともいう)は永禄年中(一五五八―七〇)越後上杉氏の越中攻めに従って越中に入り、中村なかむら保で帰農、子貞明(円光寺開基)らとともに当地を開いたと伝える。中村の上にあるので初め上島かみじまと称し、のち神島と改めたという(出町のあゆみ)。元和五年(一六一九)の家高新帳には上島とあり、若林わかばやしの内で役家数一六。正保郷帳では神島村で高九〇〇石余、日損所と注記され、田方五七町五反余・畑方二町五反。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では草高一千三石・免四ツ、小物成は野役二六匁・鮎川役一匁(三箇国高物成帳)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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