神島神社(読み)こうじまじんじや

日本歴史地名大系 「神島神社」の解説

神島神社
こうじまじんじや

[現在地名]小値賀町前方郷 値賀浦

前方まえがた湾に臨んで鎮座。境内の近くに五島列島中で小値賀島のみに残る古墳二基のうちの一つ神方かみがた古墳があり、一帯から弥生時代より中世にかけての遺物が多く出土した。旧村社。野崎のざき島に同じ由緒、ほぼ同様の変遷をもつ同名社があり、これを沖の神島おきのこうじま神社(旧郷社)というのに対して、当社は地の神島ちのこうじま神社と称する。祭神は神島大明神(鴨一速王)で、志々伎大明神(十城別王)・七郎大明神(七郎氏広王)を併せる。十城別王は平戸の志々伎しじき神社の主祭神、七郎氏広王は同じく平戸の七郎しちろう神社の主祭神であることも注目される。鴨一速王は一隻太・一隻丸・雅武ともよばれ、日本武尊の子でまた仲哀天皇の弟にあたり、神功皇后の三韓出兵で戦功をあげたという。


神島神社
こうじまじんじや

[現在地名]宇久町平郷

松原まつばらに鎮座。祭神は鵜草葺不合命・天照大神・天忍穂耳尊・瓊瓊杵尊・彦火火出見命。旧村社。文治三年(一一八七)五島に勢力を有していた宇久家盛が日向国鵜戸うど神宮(現宮崎県日南市)の分霊を勧請したと伝える(神島大明神縁起)。または宇久島に入った宇久家盛が飯良いいら社殿建立、のちこう浦に移し、また太田江おおだえ村に移したという。建武三年(一三三六)一〇月八日の五島住人等起請文案(青方文書)志自岐しじき八幡(現宇久島神社か)・山王宮(現若松町か)とともに「かうしま」とみえ、誓約に違反した場合は神島などの罰を受けると誓っている。


神島神社
こうじまじんじや

[現在地名]小値賀町野崎郷

野崎のざき島の北端部に鎮座。神殿の背後に磐座の王位おえ石が屹立する。旧郷社。祭神は神島大明神(鴨一速王)で、志々伎大明神(十城別王)・七郎大明神(七郎氏広王)を併せる。値賀ちか浦の同名社と同じ由緒をもち、同社を地の神島ちのこうじま神社というのに対して、当社を沖の神島おきのこうじま神社と称する。南宋の湖州鏡、一一世紀後半の遼の産とされる三彩陰刻花文鉢・同蓋物、元あるいは明の褐釉壺、明の褐釉四耳壺・灰釉四耳壺・黒釉壺や青磁陰刻花文稜花形皿・白磁獅子香炉、明代の作とされる銅製五鈷鈴などを所蔵。近世は平戸松浦氏の崇敬を受け、文禄五年(一五九六)社殿を再興したほか、寛永二年(一六二五)に永代神領八石の寄進があった(小値賀町郷土誌)


神島神社
こうのしまじんじや

[現在地名]笠岡市神島外浦

神島外浦こうのしまそとうら港の東、南水沖みなみみずおきにある。祭神は神武天皇、旧村社。「延喜式」神名帳に載る「神島カンシマノ神社」に比定され、興与おきよ明神とも称した。延喜年間(九〇一―九二三)創建を伝え、当初高島の王泊たかしまのおうどまりにあったが、のちに現在地に遷座したといわれ、伊能忠敬の「測量日記」には「興与神社」とある。当初の祭神は高島の神武東征説話と結び付け、神武天皇とする説、備前守のときに「政化清平」をたたえられた良吏興世書主(「文徳実録」嘉祥三年一一月六日条)とする説などあるが、当地が古代瀬戸内海交通の要地であったと思われることから、海人系統の信仰を集めた神社とも考えられ、「大日本史」は単に太祖の霊を祀るとする。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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