英学者、英語教育家。江戸の幕臣の子として生まれたが、蘭学(らんがく)者神田孝平(たかひら)の養子となり、1871年(明治4)渡米、アマースト大学卒業、1879年帰国。帝国大学(現、東京大学)教授、高等商業学校(現、一橋大学)教授、東京外国語学校(現、東京外国語大学)初代校長などを務めるとともに、英語教科書(中等学校用クラウンリーダーや文典)、辞書(コンサイス英和辞典の祖など)を編纂(へんさん)、日本の英学・英語教育の基盤を築くうえで多大な功績を残した。その英語は、スピーチも書簡もまことに自然で上品であったと伝えられる。直接教えを受けた者に夏目漱石(なつめそうせき)、岡倉由三郎(おかくらよしさぶろう)、上田貞次郎(うえだていじろう)らがいる。養父を継ぎ男爵となり、貴族院議員やワシントン軍縮会議(1921)の全権徳川家達(とくがわいえさと)に随行する顧問も務めた。
[菊地康人 2018年10月19日]
明治・大正期の英語教育家 正則中学校創立者。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…当時の英語学習は,英語を介して西欧事情に通じ,西欧の学問,知識を吸収するのが目的であったから(しかもそれも書物によらざるを得なかった),したがってその教授・学習法は訳解が中心で,ちょうど漢文の〈返り点・送りがな〉方式に似ていた(このやり方はのちに変則英語教育と呼ばれた)。明治中期には,神田乃武(ないぶ),斎藤秀三郎,外山正一らによって,発音・会話と直読直解を重視する正則英語教育が唱えられ,正則英語学校の開設(1896)や,外山の《正則文部省英語読本》とその解説書の発刊を見た。だが,当時もまだ英語は知識吸収の媒体としての性格が相変わらず強く,大勢としては訳読による理解が中心で,英語での発表の教育はまったく不十分であった。…
…また,考古学界の先駆者としても知られ,東京人類学会初代会長(1887‐95)を務めた。英学者の神田乃武は養嗣子。【佐藤 能丸】。…
※「神田乃武」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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