神田孝平(読み)かんだ・たかひら

朝日日本歴史人物事典「神田孝平」の解説

神田孝平

年:明治31.7.5(1898)
生年:天保1.9.15(1830.10.31)
幕末明治期の洋学者,啓蒙思想家,開明的官僚美濃国不破郡岩手村(岐阜県垂井町)に神田孟明の子として生まれる。はじめ名は孟恪のち孝平,号は淡崖,唐華陽。17歳から出郷し京都,江戸にて漢学,儒学を学び一時帰郷し,再び上京しペリー来航を機に杉田成卿,伊東玄朴の象先堂,手塚律蔵の又新堂などにて蘭学を学ぶ。文久2(1862)年33歳で蕃書調所教授方出役となり同所にはじめて設けられた数学を担当した。こののち累進し開成所教授職並,同頭取になる。明治1(1868)年9月明治政府に出仕して徴士となり議事体裁取調御用となり,以後会計官権判事,制度寮准撰修兼公議所副議長,大学大丞,外務省などに勤務する。4年には兵庫県令となり,9年元老院議官に転出するまで同県政の基礎作りに尽力した。10年文部少輔さらに元老院議官に再任し高等法院陪席判事となる。23年貴族院議員となるが翌年辞任する。男爵。まとまった著書はなく,職責上にかかわる翻訳書,建議,改革意見などが多くを占める。明六社,東京学士会院をはじめとして多くの分野で活躍した。学会では東京数学会社社長,東京人類学会の初代会長を務めた。地租改正や議会制度のあり方に影響を与え,さらに西洋経済学の移植者,西洋数学の先駆者など,幕末以来蓄積してきた西洋の政治・社会制度の豊富な知識を基礎にした制度通として知られていた。<参考文献>神田乃武編『神田孝平略伝』『淡崖遺稿』,大久保利謙編「明治啓蒙思想集」(『明治文学全集』3巻)

(中野実)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「神田孝平」の解説

神田孝平
かんだたかひら

[生]文政13(1830).9.15. 美濃
[没]1898.7.5. 東京
明治初期の蘭学者,政治家。文久2 (1862) 年蕃書調所教授となり,数学のほか文法翻訳作文を教えた。明治政府になってからは明治4 (71) 年に兵庫県令となった。 1874年,明六社に参加,『明六雑誌』において啓蒙的な健筆をふるった。 90年国会開設と同時に貴族院議員に勅選,また学士院会員にも勅任された。 98年華族となり男爵を授けられた。『経済小学』 (67) ,『性法略』 (71) などの訳著書があり,また考古学の先駆者としての著述もある。

神田孝平
かんだこうへい

神田孝平」のページをご覧ください。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus「神田孝平」の解説

神田孝平 かんだ-たかひら

1830-1898 幕末-明治時代の洋学者,官僚。
文政13年9月15日生まれ。蕃書調所(ばんしょしらべしょ)で数学をおしえる。新政府につかえ,明治3年に起草した「田租改革建議」は地租改正に影響をあたえた。兵庫県令や元老院議官をつとめ,明六社にも参加。貴族院議員。明治31年7月5日死去。69歳。美濃(みの)(岐阜県)出身。名は孟恪。号は淡崖。著作に「経世余論」,訳書に「経済小学」など。
【格言など】それ智識を闢(ひら)き風俗を励ますの道は,学問を盛にするより善きは無し(「論重板」)

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百科事典マイペディア「神田孝平」の解説

神田孝平【かんだたかひら】

明治前期の経済学者,開明的官僚。岐阜の人。漢学・蘭学を学び蕃書調所教授方手伝となる。維新後は新政府に出仕して兵庫県令,元老院議官を歴任,のち明六社に参加。オランダの政治制度やイギリス自由主義経済学を紹介し,また地租改正に貢献した。考古学会の先駆者としても知られ,東京人類学会初代会長。著訳書《経世余論》《経済小学》等。英語学者・教育家の神田乃武(ないぶ)〔1860-1923〕は養子

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精選版 日本国語大辞典「神田孝平」の解説

かんだ‐たかひら【神田孝平】

幕末・明治の洋学者。男爵。美濃国(岐阜県)出身。名は孟恪。号、淡崖。儒学、蘭学を学び、幕府開成所教授、御用掛となる。維新後、新政府に仕え、のち元老院議官、貴族院議員。また明六社に参加し、啓蒙活動に貢献。主著「経済小学」「経世余論」など。天保元~明治三一年(一八三〇‐九八

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旺文社日本史事典 三訂版「神田孝平」の解説

神田孝平
かんだたかひら

1830〜98
明治初期の開明的官僚・啓蒙思想家
美濃(岐阜県)の生まれ。蘭学を学び幕府の蕃書調所教授となる。明治新政府に招かれ,兵庫県令・元老院議官などを歴任。特に彼の地租改正建議は新税法への先駆的提唱であった。また明六社に参加し,啓蒙活動を行った。

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世界大百科事典 第2版「神田孝平」の解説

かんだたかひら【神田孝平】

1830‐98(天保1‐明治31)
明治前期の経済学者,開明的官僚。孝平は通称で名は孟恪という。美濃国(岐阜県)不破郡岩手村出身。当初漢学を修めたが,ペリー来航を機に杉田成卿・伊東玄朴らに蘭学を学んで,幕府の蕃書調所の教授方出役となり数学,文法,翻訳,作文などを教授し,〈経済〉の訳語を確定し,1867年(慶応3)日本最初の西洋経済学の翻訳書《経済小学》(エリスW.Ellis著《Outline of Social Economy》のオランダ語訳からの重訳)を著した。

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世界大百科事典内の神田孝平の言及

【公議所】より

…公議所では勧農,租税,駅逓,貨幣,外交,貿易,鉱山,度量衡,商業,開墾,学校,出版,刑法,軍律,海軍,宗教,陸軍,営繕,水利などを議事の分課とし,積極的な審議を行った。とくに議長代行森有礼,副議長神田孝平ら開明派が審議をリードし,里数改正,通称の廃止,切腹の禁止,火葬廃止,帯刀廃止,入れ墨廃止,人身売買禁止,穢多非人廃止,地租改正など多くの改革案をとりあげて審議した。もちろん保守派の強い反対もあり,すべて答申されたわけではないが,活発な審議を通じて啓蒙的な役割を果たしたことは注目される。…

【東京数学会社】より

…日本で最初に設立された学会で,日本数学会の前身。1877年9月,神田孝平(たかひら)の提案により日本中の数学者が一堂に会して発足した学会である。初代の総代は神田孝平と柳楢悦(ならよし)で,後に岡本則録(のりふみ)が社長となる。…

【和算】より

…彼らによって日本のすみずみにまで数学が広まったといってよいであろう。明治10年(1877),神田孝平(1830‐98)の提案で,日本中の数学者を集めて学会を作ることになった。これが日本最初の学会である日本数学会の前身の東京数学会社である。…

※「神田孝平」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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