神野新田
じんのしんでん
草間村と牟呂村沖の渥美湾を干拓してできた一千一〇〇町歩の新田。明治二〇年(一八八七)山口県の人毛利祥久が開拓に着手したが、同二四年一〇月の濃尾大地震と、翌年九月の大暴風によって破壊された。放棄された新田跡地を引継いだ名古屋の人神野金之助により再経営され、東三河最大の穀倉地帯を造成。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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神野新田
じんのしんでん
愛知県豊橋市(とよはしし)、渥美(あつみ)湾沿岸の干拓新田。明治時代における県下最大の干拓で、1896年(明治29)神野金之助によって完成された。前身の毛利新田は山口県の人、毛利祥久が1892年につくった新田であるが、同年9月の暴風雨で破堤して海に戻ったのを再築したのが神野新田である。耕地面積約640ヘクタール。水稲の早期栽培が主体であるが、養鰻(ようまん)、施設園芸も取り入れられている。
[伊藤郷平・松井貞雄]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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神野新田
じんのしんでん
愛知県豊橋市南西部にある干拓地。面積約 1100ha。 1896年,神野家によって干拓された。牟呂用水を利用して米を生産,ほかに臨海地では 1903年から養鰻,55年からノリの養殖が行われていた。新田沿岸部では三河湾臨海工業地域の埋立て工事が進行し 72年,豊橋港が開港,豊橋港神野埠頭がある地域は神野ふ頭町となった。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の神野新田の言及
【三河湾】より
…現在はその一部で養鰻業が営まれている。豊川河口部とその南の田原湾でも干拓が進められ,1896年にはこの地域最大の神野(じんの)新田550haが誕生した。 1960年代から臨海工業用地の造成に力が入れられ,渥美湾奥に東三河,知多湾奥に衣浦(きぬうら)臨海工業地域が成立した。…
※「神野新田」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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