宇治川は京都防衛上の要衝にあたり、史上幾たびかこの川を挟んで合戦が行われた。なかでも1184年(元暦1)正月20日、源(木曽(きそ))義仲(よしなか)、源義経(よしつね)両軍の間に交わされた戦闘がもっとも有名である。前年7月に入京した義仲は、11月クーデターを断行、政権を掌握したが、他方、後白河(ごしらかわ)法皇の密旨を受けた鎌倉の源頼朝(よりとも)は、弟範頼(のりより)、義経に大軍をつけて西上させ、範頼は瀬田へ、義経は宇治に迫った。義仲方では志田義広(しだよしひろ)を宇治方面に派遣して防戦したが失敗し、義仲は京都から敗走の途中戦死した。このとき、義経麾下(きか)の梶原景季(かじわらかげすえ)と佐々木高綱(たかつな)が乗馬のまま渡河を競ったという「宇治川先陣争い」の話は、『平家物語』のなかでも著名な一節である。
[杉橋隆夫]
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