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宇治川の戦い うじがわのたたかい

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

宇治川の戦い
うじがわのたたかい

宇治川は,東南あるいは南方面からの京都進攻に対する格好の防衛線となっていたので,古来,この川を挟んで幾度か戦いが行なわれたが,特に有名なのは次のニつの戦いである。
(1) 寿永3 (1184) 年1月,木曾義仲 (→源義仲) の軍と源義経の軍との間で行なわれた戦い。義仲方は志太義広を宇治川に遣わして,義経の入京を阻もうとし,ここを突破されて滅亡したが,このときの梶原景季佐々木高綱との先陣争いは有名である。
(2) 承久3 (1221) 年6月,承久の乱の際の朝廷軍と鎌倉幕府軍との戦い。朝廷軍は宇治川を最後の防衛線として戦ったが,北条泰時の率いる幕府軍はこれを突破して翌日入京し,朝廷は幕府に屈した。

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大辞林 第三版の解説

うじがわのたたかい【宇治川の戦い】

1184年一月、源義経と木曽義仲の軍勢による宇治川をはさんでの戦い。佐々木高綱と梶原景季の先陣争いで有名。
1221年六月、承久の乱のとき、朝廷軍が北条泰時の率いる幕府軍に大敗した戦い。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

宇治川の戦い
うじがわのたたかい

宇治川は京都防衛上の要衝にあたり、史上幾たびかこの川を挟んで合戦が行われた。なかでも1184年(元暦1)正月20日、源(木曽(きそ))義仲(よしなか)、源義経(よしつね)両軍の間に交わされた戦闘がもっとも有名である。前年7月に入京した義仲は、11月クーデターを断行、政権を掌握したが、他方、後白河(ごしらかわ)法皇の密旨を受けた鎌倉の源頼朝(よりとも)は、弟範頼(のりより)、義経に大軍をつけて西上させ、範頼は瀬田へ、義経は宇治に迫った。義仲方では志田義広(しだよしひろ)を宇治方面に派遣して防戦したが失敗し、義仲は京都から敗走の途中戦死した。このとき、義経麾下(きか)の梶原景季(かじわらかげすえ)と佐々木高綱(たかつな)が乗馬のまま渡河を競ったという「宇治川先陣争い」の話は、『平家物語』のなかでも著名な一節である。[杉橋隆夫]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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