福本町(読み)ふくもとちよう

日本歴史地名大系 「福本町」の解説

福本町
ふくもとちよう

下京区西洞院通七条上ル

南北に通る西洞院にしのとういん(旧西洞院大路)を挟む両側町。北側は北小路きたこうじ(旧北小路)にも面する。

平安京の条坊では、左京七条三坊二保四町西側と七条二坊三保一三町東側の地。「康富記」宝徳二年(一四五〇)七月二三日条には、「後日伝承分、洛中七条西洞院辺棄男児、人多奇之見之処、馬之形有四蹄云々、希代事也」と記されているが、これは当町付近にあたっていた。

近世西本願寺寺内町となり、寺内九町組のうち鍛冶組に所属。


福本町
ふくもとちよう

上京区浄福寺通一条上ル

南北に通る浄福寺じようふくじ通を挟む両側町。町の南側は一条いちじよう(旧一条大路)。平安京大内裏の北辺三門の一つ「達智門」の跡地(「拾芥抄」の宮城指図)

町名は、元禄九年(一六九六)京大絵図に「門ぜん」、寛保初の京大絵図に「浄ふくし門前」とあり、西隣笹屋ささや町二丁目にある浄福寺門前の意と思われる。元禄末の洛中絵図には、北を「福本丁」、南を「坂口丁」と記し、「坊目誌」所収の元禄一一年西陣図には、町の東南を「富永町」、北を「福本町」、西を「坂口町」とよんだとある。


福本町
ふくもとまち

[現在地名]姫路市福本町

姫路城北東の外曲輪に位置する町人町鍛冶かじ町の東、米屋こめや町の北にある。福元町とも書いた(「播州姫路記」愛知県西尾市立図書館蔵)。慶長六年(一六〇一)裏書がある野里村古地図に当町辺りは「才木町之内びくにんまち」とみえ、比丘尼びくに町屋敷と西の鍛冶町との間に「御小者衆屋敷」があった。慶安二年―寛文七年(一六四九―六七)の侍屋敷新絵図では小者衆屋敷も比丘尼町となった。


福本町
ふくもとちよう

左京区新高倉仁王門下ル

南北に通る新高倉しんたかくら通に面する両側町。町内の北を仁王門におうもん通が通る。

宝永五年(一七〇八)の大火以後、高倉通丸太町上ル福本町(現上京区京都御苑)住民を移して開町。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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