科長神社(読み)しながじんじや

日本歴史地名大系 「科長神社」の解説

科長神社
しながじんじや

[現在地名]都城市上水流町 野首

南に大淀川を望む台地上にあり、西方志和池しわち城跡。旧村社。祭神は科津彦神・科津姫神・天水分神・国水分神・菅原道真公・豊受姫神・猿田彦神。斜長神社と誤記されることもある。神社明細帳に勧請は元禄六年(一六九三)となっているが、同一一年の神社由緒調帳写や万延元年(一八六〇)の神社由緒調控(ともに都城島津家文書)社名はなく、上水流かみづる村内にある神社は、現在当社境内社としてある荒人こうじん三社大明神と、現存していない志和池しわち天満天神の二社のみあげられている。祭神のなかに菅原道真公すなわち天神のあることから、志和池天満天神に科長の神々をともに祀り、科長神社としたものではないかとも推定され(宮崎県神社誌)、また往古志和池の天満宮とよばれ、北郷忠相の頃に祭祀料として二八石を寄進されたのをはじめ代々領主の崇敬が厚く、明治六年(一八七三)現在地に社殿を建築して社名を改めたともいわれている(志和池村史)

科長神社
しながじんじや

[現在地名]太子町山田

二上にじよう山西南麓の竹内たけのうち街道南側にある。「延喜式」神名帳に載る石川郡小社「科長シナカノ神社」に比定される。現祭神は級長津彦命・級長津姫命・天照大神・速素盞嗚命・天児屋根命・武甕槌命・経津主命・建御名方命・誉田別命。旧郷社。社名は当地一帯の地名磯長しなが(科長)に由来すると思われる。磯長の地は古代には皇族の葬地であった。祭神の級長津彦命は「日本書紀」神代上第五段第六の一書にみえ、伊弉諾尊の吹きはらう息が神となったもので、「号を級長戸辺命と曰す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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