穴吹町
あなぶきちよう
面積:一〇八・八八平方キロ
郡の東部中央、吉野川の右岸(南岸)にあり、南は木屋平村・一宇村、北は吉野川を隔てて脇町、西は貞光町・一宇村、東は麻植郡山川町・美郷村、木屋平村。木屋平村地内の剣山北東斜面に発した穴吹川は、当村に入って初めは西に流れ、口山の鍵掛付近で北に向きを変え、蛇行しながら町域を貫流して吉野川に注ぐ。南部の口山・古宮地区は剣山地の北部にあたる山々が連なる山村で、集落・耕地は穴吹川やその支流沿いの山腹緩斜面に散在。穴吹川の中流・下流部や北西部の三島地区に狭小な洪積台地が形成される。平野は穴吹川河口部や吉野川沿いの舞中島・小島などに発達。全体に山林原野が多く、耕地率は五・一八パーセントにすぎない。吉野川の南岸に沿って国道一九二号(近世の伊予街道)が東西に走る。穴吹地区で同道から北に分岐する同一九三号は穴吹橋で吉野川を渡り、香川県高松市に通じ、同じく穴吹地区で一九二号から分岐する国道四九二号が穴吹川沿いに南下し、木屋平村に抜ける。国道一九二号のすぐ南側を並行してJR徳島線が町域を横断、町の玄関口にあたる穴吹駅と小島駅の二駅が置かれている。
三島には三基からなる三島古墳群や三谷古墳がある。ほかに口山に尾山古墳、穴吹には戎一号墳・同二号墳などの古墳がある。令制以来美馬郡に属した。ただし当地が「和名抄」記載の同郡四郷のうち、どの郷域に含まれていたかについては定説はない。中世には町域に穴吹庄が成立したと考えられる。ただし同庄の成立経緯や領主などについては不明。戦国期には細川氏・三好氏の被官塩田氏が三谷城に拠り、岩倉城(現脇町)の三好氏を支えた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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