穴吹(読み)あなぶき

日本歴史地名大系 「穴吹」の解説

穴吹
あなぶき

中世の史料に散見する地名で、美馬郡のうち。穴吹庄・穴吹山ともみえ、近世穴吹村(現大字穴吹)は遺称と考えられる。慶長二年(一五九七)の分限帳ではのちの口山くちやま村と半平はんだいら(現古宮)を合せた地域が穴吹山とされており、中世の穴吹はこれら近世の穴吹村や口山村・半平山を含む穴吹川の流域一帯で、ただし昭和四八年(一九七三)まで麻植おえ郡に属していた現木屋平こやだいら村を除いたほぼ現在の穴吹町域にあたるものと思われる。なお「阿波志」では穴吹山は「鎌倉氏之時、属富永荘」と記され「富永荘」については「即穴吹村」と記しているが、富永庄については未詳。また「穴吹町誌」では穴吹山が穴吹川流域一帯を占める広大な国衙領、穴吹庄が穴吹川流域、現穴吹・三島みしまを境域とする庄園とされているが、この区分についても明証はない。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「穴吹」の意味・わかりやすい解説

穴吹
あなぶき

徳島県北部、美馬郡(みまぐん)にあった旧町名(穴吹町(ちょう))。現在は美馬市の中部を占める地域。吉野川の中流南岸に位置する。旧穴吹町は、1924年(大正13)町制施行。1955年(昭和30)口山(くちやま)、古宮(ふるみや)、三島(みしま)の3村と合併。2005年(平成17)脇(わき)、美馬の2町および木屋平(こやだいら)村と合併して市制施行、美馬市となった。市街地は吉野川と穴吹川の合流点の段丘上に立地し、穴吹川の谷口集落として発達、現在は市役所の所在地となっている。JR徳島線国道192号、193号、492号が通じ、剣(つるぎ)山への登山口の一つで、登山客は穴吹駅より山麓(さんろく)までバスを利用する。1976年9月、台風17号により穴吹川水系中流域の古宮地区は大被害を受けた。スギ、ヒノキ、マツ材の産出、クリ、シイタケの栽培、ブロイラー飼育を行う。穴吹川の剣峡は紅葉の名所として知られる。

[高木秀樹]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「穴吹」の意味・わかりやすい解説

穴吹
あなぶき

徳島県中北部,美馬市中部の旧町域。吉野川中流の南岸にある。 1955年穴吹町 (1924年町制) ,口山 (くちやま) 村,古宮 (ふるみや) 村,三島村が合体して穴吹町が発足。 2005年木屋平村,美馬町,町と合体して美馬市となる。中心地区の穴吹は穴吹川が北流して吉野川に合流する地点にある谷口集落徳島線開通後,吉野川南岸の交通が盛んになり発展。製材業の町。タバコ栽培,畜産も行なわれる。穴吹川に沿って国道 492号線が通じ,剣山登山口の一つとなっている。夏は登山客が多い。

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百科事典マイペディア 「穴吹」の意味・わかりやすい解説

穴吹[町]【あなぶき】

徳島県中北部,美馬(みま)郡の旧町。大部分山地で,北境を東流する吉野川と支流穴吹川沿いに耕地がある。主集落は両川の合流点付近の段丘上にあり,徳島線が通じる。米,麦,肉牛などを産し,林業も行う。穴吹川上流に紅葉の名所剣峡がある。2005年3月美馬郡町,美馬町,木屋平村と合併し市制,美馬市となる。108.88km2。7617人(2003)。

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改訂新版 世界大百科事典 「穴吹」の意味・わかりやすい解説

穴吹 (あなぶき)

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