空也寺(読み)くうやじ

日本歴史地名大系 「空也寺」の解説

空也寺
くうやじ

京都市山科区東野門口ひがしのもんぐち町辺りにあったと考えられる寺。西光さいこう寺とも称した。「山州名跡志」に

<資料は省略されています>

とある。空也が開いたというが、経緯は不明。近世初期までは廃寺同然であったが(宇治郡名勝誌)、「山城名跡巡行志」には「荒廃ノ後京都大雲院ノ光誉性愚再興ス、今亦堂宇移洛東清水坂」とあり、移転したことになっている。また「雍州府志」には西光寺として「空也上人此処遷化、然寺久廃而唯有塔存、故上人不西光寺之名、直謂空也塔(中略)一説空也晩年帰東関斯寺遷化、天和二年大雲院前住退魯軒性愚再興之、号大悲山西光寺」とあって、空也がここで死去したと伝えている。


空也寺
くうやじ

[現在地名]下京区恵美須之町

寺町てらまち通の東側に位置する。光勝山と号し、浄土宗。本尊阿弥陀三尊、南脇壇に空也上人像安置。寺伝によれば、天禄三年(九七二)空也の開基という。当初はにしき小路西洞院にしのとういん(現京都市中京区空也町)にあり、天台宗に属したという。その後の寺歴は不詳であるが、「山州名跡志」に「今宗ノ祖敬蓮社見誉」と記すから、見誉により中興されて、浄土宗に改宗したのであろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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