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立阿弥 りゅうあみ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

立阿弥
りゅうあみ

室町時代の立て花の作者。足利将軍義教,義勝,義政3代の同朋。初見は応永 25 (1418) 年,終見は長享1 (87) 年でこの間だけで 70年あり,同一人か複数人か不明。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

立阿弥 りゅうあみ

?-? 室町時代の華道家。
同朋衆(どうぼうしゅう)として8代将軍足利義政につかえ,立花(りっか)の御用をつとめた。文明18年(1486)立花の名人技を披露して義政に賞された記事が「蔭涼軒(いんりょうけん)日録」にみえる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

立阿弥
りゅうあみ

生没年不詳。足利(あしかが)将軍義教(よしのり)、義勝(よしかつ)、義政(よしまさ)の3代に仕えた同朋衆(どうぼうしゅう)で、「たてはな」(初期のいけ花)の御用をつかさどった名手。『満済准后日記(まんさいじゅごうにっき)』永享(えいきょう)2年(1430)3月16日によると、室町殿の会所を飾る三具足(みつぐそく)やその他の花を立てたとあり、また「長禄二年以来申次記(ちょうろくにねんいらいもうしつぎき)」には、将軍より禁裏へ進上のたてはなは彼が立て、『蔭凉軒日録(いんりょうけんにちろく)』によると、1487年(長享1)に義政の命でたてはなした記事が多く、将軍側近の優れた同朋衆であったことを伝えている。[北條明直]

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世界大百科事典内の立阿弥の言及

【いけばな】より


[立花の成立]
 座敷飾の花として立花が成立したのは,室町中末期のことであって,立花の専門家が登場して将軍邸や禁裏において花を立てはじめ,それに従って法式がしだいに定められるようになった。《蔭涼軒日録》に見るように,立阿弥や台阿弥といった人々,また《碧山日録》に記される連歌師としても著名な池坊専慶,《言国卿(ときくにきよう)記》における山科家の雑掌,大沢久守などは,依頼を受けて花を立てた専門家の代表であるとみてよい。室町期の立花の様相を伝える《仙伝抄》に谷川流と記載のあるのは,公家邸において花を立てた谷川入道某の伝であろうし,これらの人々の活躍によって草創期のいけばなは,立花という法式を備えたいけばなを出現させる。…

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