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第五共和政 だいごきょうわせい La Ve République

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

第五共和政
だいごきょうわせい
La Ve République

1958年9月 28日の国民投票で承認され,10月5日に発布されて新憲法のもとで成立したフランスの共和政。新憲法によると大統領は両院議員,県会議員および市町村会議員の代表によって間接的 (1962年国民投票による直接選挙に改正) に選ばれ,任期7年。

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百科事典マイペディアの解説

第五共和政【だいごきょうわせい】

1958年ド・ゴールの政界復帰と憲法改正により成立したフランスの政体。ド・ゴール大統領を頂点とする行政権の強大化,議会の権限縮小,直接国民投票の多用などが特徴。
→関連項目アルジェリア戦争新共和国連合フランスフランス共同体

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世界大百科事典 第2版の解説

だいごきょうわせい【第五共和政】

フランスで1958年に発足し,現在に至る政体。58年5月アルジェリア戦争のさなかに軍部や植民者の反乱によって生じた第四共和政の危機がその成立の端緒であった。この危機の中で,第2次世界大戦における国民的結集のシンボルであったド・ゴールは,期待を受けて再登場し,6月1日首相に就任するや自己の指導力強化と憲法改正を目ざすとともに,反乱勢力に理解を示す姿勢をとって事態を掌握し,反乱を鎮静化させた。新憲法は9月28日国民投票で投票総数の79%の支持を得て承認され,10月4日公布された。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

第五共和政
だいごきょうわせい
Cinquime Rpublique

1958年6月以降今日までのフランスの政治体制。58年5月中旬にアルジェリアで起こったクーデターを誘因として、第四共和政の国民議会(下院)は、同年6月1日、329票対224票で将軍ドゴールを首相に信任した。12年ぶりに政権に復帰した彼は、特別権限により統治することを認めさせ、新憲法の準備に着手した。9月末の国民投票で圧倒的な支持を得(本土の有効投票の79%)、正式に第五共和政を樹立した。しかし、このときの憲法は、それまでの議会制の合理化、すなわち執行権の強化と立法過程の効率化を図ったにとどまる。3年10か月を費やしてようやくアルジェリア戦争を解決し、それによって新体制の能力を証明したとき、彼は年来の政治構想(ゴーリスムといわれる)を一段と鮮明にする。強い反対を排して、62年10月末の国民投票で憲法改正を実現し、国民の直接投票(2回式絶対多数当選制)による任期7年の大統領選出を定めた。憲法上すでに大きな権限を与えられていた大統領は、その権力に民主的基礎を与えられ、「ドゴールの共和政」は議会制から準大統領制(議会制的要素を含む大統領制)へ転移する。権限を制限された国民議会(下院)に対して、政府が強化されたが、その両者に対して大統領は優越的地位を占める。大統領は首相と閣僚を任免し、閣僚会議を統裁して、自己の政治方針の実現を期し、外交・国防を指導する。必要があれば、国民議会を解散し、国民投票を要請し、緊急時には特別権限を行使する。しかし、大統領の任命した内閣は、国民議会に対して政治責任を負わねばならない。むろん議会の内閣不信任手続には厳しい条件をつけている。
 こうして強力な大統領による統治体制が実現したが、その円滑で有効な統治には、国民議会に緊密で安定した多数党もしくは多数派を確保しなければならない。大統領の権力は、安定した多数党の最高リーダーとなるとき最大となり、多数派を失うかそれが不安定なとき、あるいはそれと対立するとき弱められるであろう。第五共和政の40年余の歴史はそれらのことを示してきた。
 第五共和政の政治的発展は、大統領在職者の人格要因と国民議会多数派の構成とによってくぎられる。初代大統領のドゴール(在任1959~69)は、最初の間接選挙で選出されたが、1965年末に初めて行われた直接選挙で再選された。62年秋以来、安定した多数派を国民議会にもち、彼の絶大な権威と相まって、彼独自の体制を固めた。旧植民地の解消と再編を達成したのち、米ソの間でフランスの独立と偉大さを追求したが、そのきわめて国家主義的な外交政策は、今日もフランス外交の基本線とされている。68年の五月革命(学生の反乱に端を発し、ゼネストへと発展した社会危機)で打撃を受けた彼は、翌年春の国民投票で過半数を得られず、辞任した。次のポンピドー(在任1969~74)は、若干の修正や緩和はみられたが、内外政策ともにドゴール路線の保守的継承者であった。さらに次のジスカール・デスタン(在任1974~81)は、ドゴール路線を受け継ぎながら中央寄りの立場を求め、政治・社会改革も企てたが、経済危機の打開に成功しなかった。81年の大統領選挙は、政治的「大交替」の始まりである。社会党の第一書記ミッテランが三度目の挑戦により、現職の大統領を退けた。その熱狂的効果を受けて、総選挙は圧倒的な左翼多数派をもたらし、彼の社会党は左派急進党をあわせて286名(議席率58%)に躍進した。地方分権化、大企業・銀行の国有化、その他の社会改革に着手したが、1年後には経済・財政政策を厳しい引締めに改めて後退せざるをえなくなり、共産党との関係も悪化した。86年の総選挙は、経済の好転にもかかわらず、右翼の連合多数派を復帰させた。第一党ながら野党となった社会党をもつ大統領ミッテランの下に、右翼多数派を率いるシラク内閣が生まれ、いわゆる「共存(コアビタシオン)」の実験が緊張をはらんで始まった。88年5月の大統領選挙ではシラクが敗れミッテランが再選された。首相は社会党のロカールとなりコアビタシオンは解消、以降社会党による首相が続いた。しかし93年3月の総選挙では社会党が大敗し、ドゴール派(=共和国連合。RPR)バラデュールが首相となり第2次コアビタシオンが成立。95年大統領選挙はミッテランが出馬せず、RPRのシラクが当選。首相はジュペとなり、コアビタシオンは解消した。97年5月の総選挙では保守陣営は社会党を中心とする左派に敗北。大統領シラクの下、6月社会党のジョスパンが首相となり3度目のコアビタシオンとなった。2002年5月の大統領選挙ではシラクが再選を決め、首相に自由民主党(DL)副党首ラファランが任命された。6月の総選挙では保守連合が単独過半数を獲得して圧勝。これにより第3次コアビタシオンは解消された。[横田地弘]
『河野健二著『フランス現代史』(1977・山川出版社) ▽中木康夫著『フランス政治史 下』(1976・未来社) ▽舛添要一著『赤いバラは咲いたか――現代フランスの夢と現実』(1983・弘文堂) ▽桜井陽二著『フランス政治体制論――政治文化とゴーリズム』(1985・芦書房) ▽S・ホフマン著、天野恒雄訳『フランス現代史(1)~(3)』(1977・白水社) ▽P.-M. de la Gorce et B. Moschetto La Cinquime Rpublique (Paris, P.U.F., Coll. 《Q.S.J.》, 3e d., 1986)』

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世界大百科事典内の第五共和政の言及

【ゴーリスム】より

…こうした意味でのゴーリスムが集約されたかたちで現れたのは,アルジェリア戦争のさなかの58年5月,アルジェリア現地派遣の軍隊を中心に起こった反乱が本国にも拡大したときである。この危機の中でド・ゴールは事態を救う唯一の人物として多方面の期待を集めて再登場し,その復権をファシズムの再現とみなしたフランス共産党の反対をよそに,〈挙国内閣〉を成立させ事態に対処するとともに新憲法を制定し,国民投票で圧倒的多数の承認をかちとり,第五共和政を発足(1958年10月)させた。新憲法のもと,ド・ゴールは大統領となり,大統領と政府の指導力を強化し,最大の難問アルジェリア戦争を終結(1962)させ,国際政治のうえでは,米ソ二超大国に対抗してフランスの威信を強調,第三世界諸国にも接近政策をとるなど独自の外交政策を展開する一方,国内では,〈指導された経済〉の名のもとで産業高度化を目指すなどの改革に取り組み,こうした第五共和政の政策体系や諸制度,あるいはそれを支える権力構造のあり方もまたゴーリスムの名で呼ばれることとなる。…

【フランス】より

…左翼では社会党と共産党,右翼では共和国連合(旧ド・ゴール派),フランス民主連合(中道)等が並立しており,政党間のかけひきやその都度の連携も複雑である。以前はこの政党分立が,頻繁な離合集散,内閣の交代を結果し,政治の不安定をもたらしていたが,第五共和政の下では7年間の長い任期をもつ,より強い権限をもつ大統領の下で,政治構造は比較的安定するようになった。多党政治の不安定さと頻繁な政権交代の下で統治の連続性を保障するうえで,フランスでは行政官僚制が大きな力を果たしてきた。…

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