フランス第五共和政憲法の下での、政党間の合議でつくられた連合政権ではなく、第五共和政憲法上で強力な権限をもち、国民の直接投票によって選出される大統領(エリゼー邸)と、議会多数派によって構成される首相(マチニヨン邸)および内閣との相なかばする権力を分有せざるをえないフランスの権力配置図のなかで、大統領選挙と国民議会総選挙の結果、左右(保革)両勢力が大統領府と首相府のいずれかの権力をそれぞれに掌握するという、大統領と首相=内閣がともに意図しない保革共存政府をさす。
元来、非婚・未婚の男女の同居をさすこの語を最初に上記の意味で使ったのは元大統領ジスカール・デスタンであり、元首相バラデュールEdouard Balladur(1929― )が1983年9月に自らの政治戦略としてこの語を用いた。すでに1965年の大統領選から始まり、ポンピドーおよびジスカール・デスタンの時代にもこうした成り行きの可能性は取りざたされたが、最初のコアビタシオンの経験は、86年の総選挙で勝利した、共和国連合とフランス民主連合の二大保守政党を与党とするシラク政権と、フランス社会党の大統領ミッテランとの、すなわち右翼内閣と左翼大統領府とのコアビタシオン(保革共存政権)であった。その後88年の総選挙で左翼が国民議会での過半数を回復し、89年にはミッテランが二期目の当選を勝ち取って、93年まで大統領と内閣(ロカール、クレッソン、ベレゴボワの各政権)がともに左翼の時代が続いたが、この年の総選挙で二大保守政党が圧倒的多数を獲得し、共和国連合のバラデュールが首相の座についた。次期大統領選挙の第一のライバルであった首相シラクと大統領ミッテランとのコアビタシオンはかなり軋轢(あつれき)に満ちたものであったが、シラクと大統領候補を競っていた首相バラデュールと、次期大統領選に出馬の意思がなかったミッテランとはむき出しの敵対関係が表面化しない「ビロードにつつまれたコアビタシオン」であった。
外交上のコアビタシオンは内政のコアビタシオンと多少ニュアンスを異にして、「全軍の長」であり核兵器使用決定権をもつ大統領の権限が大きく、旧ユーゴスラビア平和維持軍派遣やペルシア湾への空母配備、ルワンダへの「人道的介入」などは大統領が決定し、首相が同意した。しかし1993~94年のヨーロッパ通貨危機に際しては首相が大統領の支持のもとに対処したし、ガット(GATT=関税および貿易に関する一般協定。世界貿易機関=WTOの前身)の第三者交渉は国内経済問題と連動しているので首相が決定した。
1995年には共和国連合党首のシラクが社会党のジョスパンLionel Jospin(1937― )に僅少(きんしょう)差で勝って大統領に就任したが、右翼のジュペ政権が自由主義経済の導入と公務員などの労働条件によって人気を失い、97年総選挙で敗れて、ジョスパン左翼内閣が成立し、今度は1986~88年および93~95年の経験とは裏腹の、右翼大統領と左翼首相・内閣のコアビタシオンが現出した。しかし、2002年5月の大統領選挙でジョスパンは3位と敗れ、首相を辞任。シラクは再選を果たし、首相には自由民主党のラファランJean-Pierre Raffarin(1948― )が任命された。6月の総選挙では保守連合が圧勝した。これによりシラクとジョスパンの下で1997年より5年間続いたコアビタシオンに終止符が打たれた。
[横山謙一]
『緒方靖夫著『フランス左翼の実験』(1987・大月書店)』▽『渡辺啓貴著『ミッテラン時代のフランス』増補版(1993・芦書房)』▽『岩本勲著『現代フランス政治過程の研究 1981~1995』(1997・晃洋書房)』▽『渡辺啓貴著『フランス現代史――英雄の時代から保革共存へ』(中公新書)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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