ド・ゴール主義の意。狭義にはフランスのド・ゴールの政治理念をさすが,さらに,ド・ゴールを支持した人びとの思想や行動,あるいはド・ゴールによって実現された政治体制や政策のあり方をさすこともあり,これらをあわせて一般にゴーリスムという場合が多い。ゴーリスムの出発点とみなされるのは,1940年6月18日,ロンドンから行われた将軍ド・ゴールのラジオ放送である。第2次世界大戦下,ドイツに占領されたフランス国民にたいし,降伏を否定し抗戦を呼びかけたド・ゴールの活動は,やがてレジスタンスの名とともに戦うフランスの象徴となり,占領軍からの解放をめざす国民的結集の軸となった。解放後の45年11月,ド・ゴールは新たに発足した国民議会により満場一致で臨時政府首相に任命されるが,この時期までが〈戦時ゴーリスム〉と呼ばれ,ゴーリスムの基礎が形成された時期である。しかし,政権をになったド・ゴールは,議会をこえてみずからの指導力のもとに国民を統合し戦後の再建を実現しようとして,議会諸政党と対立,46年1月突然辞任。以後,政権をになった諸政党にたいし,ド・ゴールの復権を求める人びとが47年に組織されたRPF(フランス人民連合)を軸に一つの政治潮流としてのゴーリスムをかたちづくる。ただし,戦後第四共和政下のフランスが直面したあいつぐ政治的危機の中で,ド・ゴールの名は〈救国の英雄〉として神話化された響きを持ち,彼への期待は,ゴーリスムに単なる一政治党派をこえた多義的な相貌を与えた。こうした意味でのゴーリスムが集約されたかたちで現れたのは,アルジェリア戦争のさなかの58年5月,アルジェリア現地派遣の軍隊を中心に起こった反乱が本国にも拡大したときである。この危機の中でド・ゴールは事態を救う唯一の人物として多方面の期待を集めて再登場し,その復権をファシズムの再現とみなしたフランス共産党の反対をよそに,〈挙国内閣〉を成立させ事態に対処するとともに新憲法を制定し,国民投票で圧倒的多数の承認をかちとり,第五共和政を発足(1958年10月)させた。新憲法のもと,ド・ゴールは大統領となり,大統領と政府の指導力を強化し,最大の難問アルジェリア戦争を終結(1962)させ,国際政治のうえでは,米ソ二超大国に対抗してフランスの威信を強調,第三世界諸国にも接近政策をとるなど独自の外交政策を展開する一方,国内では,〈指導された経済〉の名のもとで産業高度化を目指すなどの改革に取り組み,こうした第五共和政の政策体系や諸制度,あるいはそれを支える権力構造のあり方もまたゴーリスムの名で呼ばれることとなる。ド・ゴールの権威を頂点にしたこうした第五共和政の政治体制は,この時期,フランス共産党などから彼らが第2次大戦後の政治理念とした〈民主主義〉に反する独裁権力とみなされ,しばしばファシズムやボナパルティズムと対比された。さらにまた,それは戦後の世界資本主義の構造的な変化にともなう〈ネオ資本主義〉の権力形態とみなされるなど,その特質の理解をめぐって多様な論議を生んだ。しかし68年のいわゆる五月革命の後,ゴーリスムの支配力は急速に後退し,ド・ゴールの引退(1969年4月)後,後継者となった大統領ポンピドゥーの死(1974)とともに,フランスは〈ポスト・ゴーリスム〉の時代に入ったといわれる。
→ド・ゴール
執筆者:加藤 晴康
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新