ミッテラン(読み)みってらん(英語表記)François Mitterrand

デジタル大辞泉 「ミッテラン」の意味・読み・例文・類語

ミッテラン(François Mitterrand)

[1916~1996]フランス政治家。第21代大統領マンデス=フランス内閣の内相、社会党第一書記などを歴任したのち、大統領に就任。2期大統領を務めた。在任1981~1995。→シラク

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精選版 日本国語大辞典 「ミッテラン」の意味・読み・例文・類語

ミッテラン

  1. ( François Mitterrand フランソワ━ ) フランスの政治家。社会党第一書記を経て、一九八一年大統領に当選、二期務める。(一九一六‐九六

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ミッテラン」の意味・わかりやすい解説

ミッテラン
みってらん
François Mitterrand
(1916―1996)

フランスの政治家。10月26日フランス南西部シャラント県に駅長の子として生まれ、パリの政治学院に学ぶ。ジャーナリストとして出発し、第二次世界大戦当初ドイツ軍の捕虜となるが脱走して対独レジスタンスに参加。1945年に民主社会主義抗戦同盟(UDSR)の創立に参加し、翌1946年から下院議員(1946~1958、1962~1981)。第四共和政下でプレバン内閣の海外領土相(1950~1951)、マンデス・フランス内閣の内相(1954~1955)、モレ内閣の法相(1956~1957)をはじめ要職を歴任した。1958年以来のドゴール体制には終始反対し、1971年の新社会党結成に際して第一書記に就任。1972年には共産党との間に左翼共同綱領をまとめた。1965年と1974年の大統領選挙に左翼統一候補としてそれぞれドゴールとジスカール・デスタンに挑戦しともに僅少(きんしょう)差で敗れたが、1981年の大統領選挙では現職のジスカール・デスタンを破って万年負け犬の印象を一掃し、第五共和政下初の社会党出身大統領となった。就任後は死刑廃止、企業内の労働者の地位強化、年間有給休暇の5週間への延長、地方分権化、一部の産業の国有化など選挙公約の実現に努めたが、経済情勢は好転せず、1983年から緊縮策を余儀なくされた。1986年の総選挙での保守派の勝利とシラク政権誕生は、革新派大統領と保守派首相の「コアビタシオン保革共存政権)」という新事態を招いた。回想録など著書多数。1995年まで2期14年間、大統領を務めた。

[平瀬徹也]

『F・ミッテラン著、早良哲夫訳『いまフランスでは――ミッテランの社会主義』(1982・サイマル出版会)』『F・ミッテラン著、川島太郎・佐藤昌訳『大統領への道』上下(1982・広済堂出版)』

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百科事典マイペディア 「ミッテラン」の意味・わかりやすい解説

ミッテラン

フランスの政治家。パリ大学法学部卒業後弁護士を開業。第2次大戦中は軍隊,対独レジスタンスに参加。1946年下院議員に当選。第四共和政下で内相,国務相など11回入閣。1965年大統領選挙でド・ゴールに敗北。1971年フランス社会党書記長。1974年大統領選挙でジスカール・デスタンに惜敗したが,1981年5月の大統領選挙でこれを破って大統領に就任,社会党政権を樹立した。1988年再選,1995年までその任にあった。
→関連項目オランドシラク第五共和政フランスムルロア環礁ラ・ビレット

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改訂新版 世界大百科事典 「ミッテラン」の意味・わかりやすい解説

ミッテラン
François Maurice Marie Mitterrand
生没年:1916-96

フランスの政治家。シャラント県に駅長の子として生まれる。第2次世界大戦でドイツ軍の捕虜となるも脱走,のちレジスタンスに加わり,〈全国捕虜流刑者運動〉代表となる。大戦後1946年ニエーブル県選出の議員となり,民主社会主義抵抗同盟(UDSR)の指導者の一人として活動,47年初入閣以後たびたび閣僚を経験する。58年ド・ゴールの登場に反対の立場をとり,60年代にしだいに政界におけるド・ゴール体制反対の中心的存在となる。65年社会党(SFIO)の支持を得て民主社会左翼連合(FGDS)を形成,同年ド・ゴールに対抗して初めて大統領選挙に出馬する。60年代末からの社会主義的左翼の合同の動きに尽力,71年新しい社会党(PS)の結成とともにその書記長となる。72年共産党との共同綱領を実現,74年の大統領選挙では左翼共同候補となり,81年の大統領選挙で勝利を収め,ド・ゴール以後の第五共和政に決定的転換をもたらすと同時に,社会主義を名のるフランス最初の大統領となる。82年フランスの元首としては初めての訪日を実現している。《真実のわが役割》(1969)など著作も多い。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ミッテラン」の意味・わかりやすい解説

ミッテラン
Mitterrand, François Maurice

[生]1916.10.26. シャラント,ジャルナク
[没]1996.1.8. パリ
フランスの政治家。パリ大学を卒業後,弁護士を開業。第2次世界大戦中対ドイツ・レジスタンス運動に参加。ドイツ軍に捕えられたが脱走。 1946年社会党下院議員。 47年 P.ラマディエ社会党内閣の退役軍人相。 54年内相。 56年国務相など入閣 11回。 59年上院議員。 65年 12月の大統領選挙 (初の直接選挙) では現職の C.ドゴール大統領に対する左翼の統一候補となり,第2回投票で,予想外の人気を集めた。 71年社会党書記長に就任,72年共産党と共同政府綱領を成立させ,73年の総選挙で社会党の躍進を実現し,74年5月の大統領選挙では再び左翼統一候補として第1次投票で第1位となったが,第2次投票で V.ジスカールデスタンと対決,惜敗した。 81年5月の大統領選挙では,ジスカールデスタンに 100万票以上の差をつけて当選。 88年5月の大統領選挙でシラク共和国連合総裁らの挑戦を退け再選され,95年5月まで2期 14年間にわたり大統領をつとめた。 1992年に行われた統一地方選では国内不況の深刻化に効果的な手を打てなかったことから大敗,社会党結党以来初めての 18%台の得票率に終り,指導力の低下を印象づけた。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ミッテラン」の解説

ミッテラン
François Mitterrand

1916~96

フランスの政治家。3度目の大統領選への挑戦で宿志を果たした社会主義者で,2期14年務める(在任1981~95)。第四共和政下では中道左派として内相や法相などの大臣を歴任し,1971年に新生社会党に合流して第一書記に就任した。70年代の不況が平等や公正を掲げる社会党に追い風となり,81年の総選挙でも同党が圧勝して,ミッテラン時代が始まる。富裕税の創設や国有化,地方分権や死刑廃止,5週間の有給休暇などの法律を次々と制定するが,経済再建に失敗し,86年にはド・ゴール派シラク首相との保革共存を余儀なくされた。2期目のミッテランは政治対立に超然とする国父のイメージを保つが,1930年代から大戦中にかけての右翼的な過去が暴露され,晩節を汚した。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ミッテラン」の解説

ミッテラン
François Mitterrand

1916〜96
フランスの政治家。大統領(在任1981〜95)
第二次世界大戦中に対独レジスタンス運動で活躍。戦後は下院議員,1971年からは新社会党第一書記(〜81)となり,81年にはジスカールデスタンを破り大統領に就任,88年に再選。左翼政権として改革を進めようとしたが,1986年の総選挙で与党が敗北してからは,保守派の内閣との保革共存(コアビタシオン)での運営を余儀なくされた。

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世界大百科事典(旧版)内のミッテランの言及

【第五共和政】より

…以後ポンピドゥーが大統領としてド・ゴール体制を引き継いだが,74年急死し,独立共和派のジスカール・デスタンが大統領となった。さらに81年4月の大統領選挙では社会党のミッテランが当選,続く6月の議会選挙でも社会党が躍進して新政権を誕生させ,これに34年ぶりに共産党も入閣した。この政府の下で一部大企業の国有化や地方自治体議会の権限強化による分権政策,あるいは死刑廃止(1981年9月)などの改革が行われ,第五共和政は新たな転換期に入った。…

【フランス】より

…フランス政府が文化使節としてジョルジェ・デュアメルやピアニストのラザール・レビを送り,多くの聴衆を集めた。1953年に日仏文化協定が結ばれるとともに政府間の交流も親密になり,日本からは吉田茂(1954),岸信介(1959),池田勇人(1962),田中角栄(1973),三木武夫(1975),鈴木善幸(1982),竹下登(1988),宇野宗佑(1989)の各首相がフランスを公式訪問し,フランスからはポンピドゥー首相(1964),ジスカール・デスタン大統領(1979),ミッテラン大統領(1982,86,89)が日本を公式訪問した。フランスでも正規に日本語を教える高校が現れはじめ,84年には日本語が教授資格試験(アグレガシヨン)に認められた。…

※「ミッテラン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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