籠村
ひろうむら
[現在地名]春日部市樋籠
樋堀村・牛島村の北に位置する。村の東側を庄内古川が流れる。葛飾郡幸手領に属した(風土記稿)。北西の八町目村から東の新川村を経て金野井(現庄和町)へ通ずる道が通る。寛永一四年(一六三七)の武蔵国幸手領内樋籠新々田御検地帳(田中家文書)四冊のうち一冊が残っており、田畑二七町六反余の記載がある。田園簿には樋籠新田とみえ、田二四七石余・畑一二七石余。江戸時代を通じて幕府領であったと思われる(田園簿・改革組合取調書など)。元禄八年(一六九五)武蔵国幕府領総検地の一環として検地が実施された(「風土記稿」など)。
籠村
つづらむら
[現在地名]東洋町野根 葛籠
押野村の北、野根川西側に位置し、上流は成川村、対岸は中島・内田の両村。野根郷に属し「津々羅村」とも記す。天正一七年(一五八九)の野禰村地検帳では内田村にそえて「ツヽラ谷」とあり、地高は二町五反余である。「ツヽラ谷下」などに一町余の水田があるが、ほかは下畠で散田とあり屋敷はまったくない。
籠村
つづらむら
[現在地名]川根町葛籠
抜里村の北に位置し、大井川の中流右岸に立地する。遠江国榛原郡に属し、東は大井川を境に駿河国志太郡地名村(現中川根町)、北は榛原郡久野脇村(現同上)、同村との境は岩道で牛馬は通れなかった(遠江国風土記伝)。正保郷帳に村名がみえ、田方一貫三二文・畑方二八貫二四八文、幕府領、ほかに八幡領一貫二二〇文・曹洞宗竹泉寺(現廃寺)領四〇〇文がある。
籠村
つづらむら
[現在地名]吉永町岩崎
小板屋村から西流してきた八塔寺川が、南に流路を変える谷間の小盆地にあり、南は吉永北方村。慶長一八年(一六一三)の和気郡御勘定帳に吉永内として「つゝら村」とみえ、物成一四石余、夫米八斗余。寛永備前国絵図にも同様の表記でみえ、高二八石余。正保郷帳には葛籠村と記す。「備陽記」では田畑六町余、家数一六・人数九三。文化年間の「岡山藩領手鑑」によると、直高五四石余で御学校領。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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