最新 心理学事典 「繁殖戦略」の解説
はんしょくせんりゃく
繁殖戦略
reproductive strategy
【配偶関係mating】 受精後の発生を支えるための栄養分は卵子に含まれており,卵子の方が精子より大きく,産出される数も少ない。一つひとつの配偶子産出にかけるエネルギーは女性の方が大きいことになる。しかし,子育てまで含めると,繁殖全体にかかわる男女の負担の大きさの違いは生物種によって異なる。たとえば,カッコウのように乱婚(多夫多妻)で托卵し,育児に両性とも関与しない種もあるが,鳥類Avesでは9割を超える種が一夫一妻であり,両性が営巣nest building,抱卵incubation,子育てrearingに関与する。他方,哺乳類Mammaliaは妊娠gestation,出産delivering,授乳lactationを含むため,繁殖にかかわる女性特有の負担が大きい。より優れた遺伝子を有し,出産後の子育てにも積極的に参加する男性と安定した配偶関係をもつことが哺乳類女性の繁殖成功度reproductive successを高めるうえでは合理的だと思われる。しかし,哺乳類の多くを占める群れ社会の原型は,母親とその娘を核にした母系的な結びつきである。また,一夫多妻に分類される種が多いが,子育てへの男性の直接的な関与や特定の男女の恒常的な結びつきは見られにくい。例外が食肉類Carnivoraのイヌ科や霊長類Primatesである。霊長類では,一部の原猿,新世界ザル,旧世界ザル,小型類人猿のテナガザルが一夫一妻であり,安定した配偶関係にある男女のペアが子育てを協力し合う。その他の多くの種は哺乳類型の一夫多妻であるが,大型類人猿では,オランウータンが交尾期にしか男女が行動をともにしない単独生活,単雄複雌群を形成するゴリラが父親の役割の明確な一夫多妻である。複雄複雌群を形成するチンパンジーとボノボは乱婚(多夫多妻)で,特定の男女の配偶関係はない。ただし,交尾の機会をめぐっては群内の男性間で順位争いがあり,日常生活上の威嚇や駆け引き,時として激しい暴力が生まれる。これに対抗する女性の連合も知られている。ヒトでは社会文化の制約があるが,周知のように上記のいずれをも含む多様な配偶関係が見られる。
【親子関係parenting】 一度に多数の子を産むが生まれた子の世話をしないタイプの種と,少数の子を産んで生まれた子の世話を懇切に行なうタイプの種がある。前者の繁殖戦略をr-戦略r-strategy,後者をK-戦略K-strategyとよぶ。r-戦略は,生存困難な変動の多い環境に特徴的な高い増殖率を示し,K-戦略は,競争的で安定した環境における収容能力を示す。妊娠期間を有し,生まれた子には母乳を与えて育てる哺乳類は基本的にはK-戦略者である。とりわけ霊長類の新生児は姿勢運動機能が未熟なままに生まれ,母親の腹にしがみつく子を母親が抱き支えて生後の一定の期間を母子密着して過ごす。同じK-戦略者である有蹄類Ungulataにおいて新生児が自力で立ち上がり,四足歩行で母親の後追いをするのと対照的である。性成熟sexual maturationに至るまでの相対的な期間も霊長類は他の哺乳類よりも長い。
哺乳類の子がおとなと同じ食物を自力で採食できるようになる時期は,ほとんどの種で第一大臼歯が萌出する時期でもある。旧世界ザルも,離乳weaningと第一大臼歯萌出の時期がほぼ一致する。ところが,チンパンジーやヒトはこの原則に外れている。チンパンジーの場合,第一大臼歯が萌出するのは,3歳過ぎであるが,離乳はこれよりも遅れて5歳ごろになることが多い。他方,ヒトの場合は,離乳が2~3歳であるのに対し,第一大臼歯が萌出するのが5歳過ぎである。一般的には,霊長類の歯の萌出年齢と脳重量増加には高い相関があり,第一大臼歯萌出と脳重量増加が停滞する時期とほぼ一致する。他の霊長類と比べると,チンパンジーもヒトも,生まれた子が母親から行動的に自立するまでには長い年月を要する。チンパンジーは,第一大臼歯萌出と脳重量増加の停滞という身体発育上の変化と連動して行なわれていた離乳の時期を遅延させて,子を庇護する期間を5~6歳まで延長した。
離乳までの期間にチンパンジーの子は,道具使用を含め母親からさまざまなことを学ぶ。他方ヒトの子は,おとなと対等な食生活に進むには未熟な発育段階であるにもかかわらず早々に離乳する。そして,養育者や周囲の年長者に採食を補助されながら生活する時期が「真に」離乳可能な発育段階になるまで続く。共通祖先がおそらく実践していたチンパンジー型の庇護期間延長の生活史パターンをベースに,「第一大臼歯萌出と脳重量増加停止」という子の身体発育をさらに遅延させたのがヒトの系統である。この発育遅延は,脳重量の増大,脳機能の拡大というヒトの進化においてきわめて重要な特徴と結びついている。
【おばあさん仮説ときょうだい】 子を早く離乳させるヒトの母親の出産間隔はチンパンジーの平均5年に比べて短かくなった。チンパンジーの子よりはるかに手のかかる乳飲み子と,まだ採食において自立しないそのきょうだいを同時に養育する多産多保護のヒトには,少産多保護のチンパンジーとは異なる新たなタイプの子育てが必要となる。複数の乳幼児が同時にうまく育つには,母親以外のおとな,つまり女性同士の協力や子の父親である男性からの援助が有益である。女性の繁殖可能時期は,寿命とともに延長することはなかった。したがって,閉経があり,更年期menopausal stageを経験する。そして,養育経験のある年長の女性が閉経後も長く生きて若い母親を援助することに力を発揮することになったのではないか。このように主張するのがおばあさん仮説grandmother hypothesisである(Hawkes,K.et al.,1998)。
親の弟妹(子にとっては叔父・叔母)や子の兄姉など,年少の個体が子育てを手伝う場合もある。現代社会でも,きょうだいsiblingsは時として子育てにおける重要なヘルパーhelperである。出生後の長年月,母親からの世話を独占して育つ他の大型類人猿に対して,きょうだいとともに親の庇護や愛情を分かち合いつつ幼少期を育つ経験はヒト特有のものであり,個人の人格形成に与える影響は大きい。
【共同育児】 体のわりに大きな子や双子が生まれる原猿や新世界ザルの種では,母親以外の個体が子の運搬や給餌などの世話をする共同育児cooperative breedingが幅広く見られる。他方,皆無というわけではないが,旧世界ザルやヒト以外の大型類人猿では,養育への他個体の関与の度合いはむしろ小さい。ヒトの育児力は,他の大型類人猿とも分有している母親の懇切ていねい,愛情深い高い育児能力を継承しつつ,系統の隔たった霊長類種に見られる共同育児を交え,母親に身近な複数のおとなや年長の子どもが協力し合うことで,飛躍的に高まった。また,鳥類でも,母親以外の成員からの養育や保護を受けたり,巣立ち後も採餌を親に依存することが知られている。このことは幼児期や青年期という独自なライフステージを出現させているヒトにも当てはまるであろう。
人間の社会文化は一夫一妻にしろ一夫多妻にしろ,性的に結ばれた男女の絆を軸に祖父母やきょうだいを含む血縁からなる家族のまとまりを大事にし,同時に家族以外の成員の関与も含みながら子育てが行なわれてきた。工業化とともに家族の形態が多様化した後,今日のような「保育所」という形態で組織的,制度的な共同育児が始まったのは,つい最近,19世紀になってからのことである。さらに恋愛や結婚,子や孫の養育への主体的参加も含めて,一人ひとりの男女の生涯発達を社会的に支援するしくみ作りが現代を生きる一生物種としての人間の重要な繁殖戦略となりつつある。 →行動生態学 →子殺し →食物分配
〔竹下 秀子〕
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